同じ女でも生理の話をすることを嫌がる者と、むしろ積極的に話したい者とがいる。なぜだろう。私は生理の話はするけど(最近ブログにはあんまり書かないようにしてるが、常に考えている)うんこの話はしない。今日はこういう形でこんな匂いのうんこがこのくらい出た、とか絶対言わない。でも聞かされる(読まされる)人からみたら同じような排泄物で、同じくらいデリカシーのない話だと思う。なんでなのか考えてみると、私にとってうんこは、主体性をもって「出す」ものである。それに対して生理はどこか知らないところから「来る」もので、その質も時期も自分で決められない、受動的なものである。受け身なことがなんか悔しくて、なんとかして自分のものにしたいんだと思う(あと主体性を感じてないから平気で話せるんだと思う。自分の排泄物だけどどこか他人事みたい)。弱い犬ほどよく吠えるようなもので、私はうんこに対しては強いので何も語る必要がないのだろう(そういえば昔ひどい便秘症だった頃はよく日記に書いてたな)。私は自分で生理を操りたいのかもしれない(薬とか使わずに、意志の力で)。生理を操れたら思いのままに旅行に行き海に入り体育を休み子を産むことができる。生理は女を謙虚にする要素のひとつだ。私には謙虚が足りないから生理を理屈でこねまわすことをやめられないのだろう。早くあきらめて大人になったほうがいいと自分でも思う。ほかの女がなぜ生理の話をしたがるのかは知らない。
茨城も春らんまんです。朝からウグイスだかミソサザイだかがうるさいし、ユニクロルックで梅が満開の遊歩道を歩いていたらはしゃいだおっさんに「彼女!かわいいね!」と声をかけられた。4年前に池袋のスクランブル交差点で手配師みたいなおっさんに「ねえちゃん10代?20代?」って聞かれたのが知らない男に声をかけられた最後だったのだが(34、と答えたら目をそらされた)、記録更新だ。たしかあのときも春だった気がする。
今日は久々に病院へ。病院というか公共施設が好きなので、最初の頃は楽しかったが、今はもう売店も見慣れちゃったし迷路みたいだったフロアも迷わず歩けるようになったし、だいぶ飽きてきた。とか思ってたら私の内診中、隣の診察室の女が泣きわめきだしたのでギョッとした(壁が薄いので丸聞こえ)。「こんな所に通うの恥ずかしいのに、やだけど勇気出して来てるのに」などと大声で医者を責めながら、ヒックヒックと泣いている。同じフロアの「産科」エリアはハッピームードな若い妊婦であふれているが、「婦人科」のほうは不妊検査とか受けにくる高齢もしくは病気の女でひしめく切羽詰ったエリアである。だからまあ気持ちはわかるよ、でもさそんなのここに通ってる人たちみんなそうなんだしさ、こんなこと正面からまともに受け止めないでうまく気をそらしながら淡々とこなしていくしかないじゃない、がんばろうよ、などと声をかけてやりたかったが、ドラマじゃないんだから知らない人に声なんか当然かけずに帰ってきた。少なくとも私は婦人科に通うのが恥ずかしいとは全然思わないので、それだけでもずいぶん得している、と思った。
夫がしばらく留守だったと思ったら今度はずっといる(代休取った)ので、飯炊きヤフオク飯炊き楽オクの明け暮れであっという間に数日過ぎてしまった。そしてやっと夫を会社に追い出した今日もヤフオク画面を眺めている。私は人生の7割をねまきで過ごしているので、新しい服を買うのが惜しいが、欲しい。1000円前後でヴェールダンスだのSM2だのニームだのを買えるならそっちのほうがいい。しかし私はいわゆる「ブランド品」を質屋で安く買うといった行為はよくない、と考えている(だから持ってない)。この矛盾が自分自身よくわからない。
最近オークションにはまってしまい、暇さえあれば楽天オクかヤフオクで服とか探している。昔は相手と直接やりとりしたりいちいち入金しに行ったりと面倒だったけど、最近は自動フォームとカード決済で簡単になった分、ハードルが低くなった。安物しか買わないけどチリも積もればで今月はもう小遣いなくなる予感。還付金が待ち遠しい。