先週母&兄を回転寿司に連れてったとき公園の中を通ったら、母は大きなどんぐりが落ちている!と言って拾おうとするので、私と兄とで「やめなよ」と言ってやめさせた。母は、だってこんなに大きなどんぐり、食べたいくらいだわ、と言った(食べられないことは承知の上で)。
うちの絡まりまくるパソコンケーブル類や書類の引き出しを見た母曰く、うちの子はみんないい子だった、コンセントプラグをいじったり引き出しをひっくり返したりするようなことはなかった、とのこと。実家は広かったし、引き出しやプラグなんぞ瑣末なものよりもおもしろいもの(もっと危険なもの)がいっぱいあったからだと思う。私のおぼろげ記憶でも、兄が夢遊病で夜中外に飛び出したり、私と姉がケンカして布団におしっこかけたり、長じては金髪だピアスだ外泊だ事故だ一人暮らしだ離婚だのと(これらは全部私)いろいろ面倒をかけたはずだのに、母の中ではそんなの全部ひっくるめて「いい子」ってことになっているのがすごいなあと思う。父は理想の夫とは思われず、祖父母も舅姑としてはキツい存在だったはずなんだが、今となっては全部が良い思い出になっているらしい。何があっても母は大きなどんぐりを見つけたら幸せになっちゃう人だ。
私に子供ができたらたぶん、その子は引き出しをひっくり返し、プラグをいじっては感電すると思う。うちは狭いし、ほかにおもしろそうなものもないから。そのうち髪を染めるだの夜遊びしたいだのこんな家に生まれたくなかっただのと言いだすんだろう。それをいい子だなんて思うのは、その子が長じた後に振り返ればいいことで、とりあえずは子供をひっぱたいて叱らなくちゃならないんだろう、この私が。
たいした苦労もせず、いつまでたっても「末っ子」のまま四十路を迎えんとする私には、母の気持ちがたぶんまだ本当にはわかっていない。秋の日の午後、子供と歩く公園で大きなどんぐりを見つけた瞬間に湧き上がる喜びの実感を。
ちなみにうちの母は毎日夕方5時に夕飯、6時には寝る女だ。ゆうべは夜10時に目が覚めてしまい、眠れなくなったので朝まで寝ないで、野菜を荷造りしたりおにぎりを作ったりしていたそうだ。それでおにぎりいっぱいもってきてくれたけど、それはうちの夜食と朝食にすることにして、近所の回転寿司屋に連れてった。母と外食なんてめったにないことなのでいい思い出になった(母にとって人生2度目の回転寿司体験)。でも座っている母を上から見たら、髪がすごい薄くなってて地肌が見えててちょっと悲しくなった。
家に帰ってから調べるといちおう61歳も大厄(男女とも)なんだそうだけど、そんなのは若いころの厄年とは意味が違って、老人の入口だから気をつけてってことだろう。男女同じってとこもくやしい。女として人として、盛りの時期をとっくに通り過ぎてしまったってことかー。
実家を見習って粗食にしようと考える。実家の食事は野菜中心というか野菜しかない(私の滞在中は兄嫁が心配して肉料理を差し入れてくれた)。味付けも薄いっていうかほとんど味がない。おやつはふかし芋と庭でとれたいちぢく、みかん。
久しぶりに実家に行ってきた。この夏は体調不安定で盆も彼岸もぶっちぎってしまったため、半年ぶりくらいだ。懐かしの実家、何も変わっていない、と思いたいけど行くたびに何かが変わっている。
久しぶりに行ってみて改めて思ったのだが、実家のインテリアの90%はもらいものでできている。こけしだのペナントだの「いやげもの」も素直に飾ってあるし、親戚のだれかが描いたへたくそな油絵とか絵手紙なんかも壁にかけてある。何も考えず手当たり次第に置いているのかと思っていたら、母には母なりのこだわりがあるようだ。たとえば飾りたいものがあるのに、もらいものがない場合はどうするか。
一例:うさぎとうさぎの間にいる謎の物体
もらいものインテリアのなかに「干支シリーズ」がある。うしとかねずみとかの置物や土鈴がいろいろ。うさぎなんか2匹もいるのに、たまたまひつじだけはだれからももらわなかった。ひつじは父の干支なのに。そこで母は毛糸でひつじを編み、干支シリーズにまぎれこませるのだ。
明らかに仲間外れ。言われなきゃひつじだとわからない。父に「あなたの干支を編んであげたわよ」とか言うわけでもないし、父は部屋のがらくたが1個増えたってろくに気づかない。母の自己満足・自己完結。
本も読まないテレビもみない母の作品は完全にオリジナルである。手芸好きのおばさんのように、手作りのものを他人に誇示することを母は好まない。でも母はひそかに何かしら作って、家じゅうに溜めこんでいる。変人というほどのインパクトはないが、母は微妙に変わった人で、その変わり者ぶりをうまく表現できない自分がもどかしい。