先週母&兄を回転寿司に連れてったとき公園の中を通ったら、母は大きなどんぐりが落ちている!と言って拾おうとするので、私と兄とで「やめなよ」と言ってやめさせた。母は、だってこんなに大きなどんぐり、食べたいくらいだわ、と言った(食べられないことは承知の上で)。
うちの絡まりまくるパソコンケーブル類や書類の引き出しを見た母曰く、うちの子はみんないい子だった、コンセントプラグをいじったり引き出しをひっくり返したりするようなことはなかった、とのこと。実家は広かったし、引き出しやプラグなんぞ瑣末なものよりもおもしろいもの(もっと危険なもの)がいっぱいあったからだと思う。私のおぼろげ記憶でも、兄が夢遊病で夜中外に飛び出したり、私と姉がケンカして布団におしっこかけたり、長じては金髪だピアスだ外泊だ事故だ一人暮らしだ離婚だのと(これらは全部私)いろいろ面倒をかけたはずだのに、母の中ではそんなの全部ひっくるめて「いい子」ってことになっているのがすごいなあと思う。父は理想の夫とは思われず、祖父母も舅姑としてはキツい存在だったはずなんだが、今となっては全部が良い思い出になっているらしい。何があっても母は大きなどんぐりを見つけたら幸せになっちゃう人だ。
私に子供ができたらたぶん、その子は引き出しをひっくり返し、プラグをいじっては感電すると思う。うちは狭いし、ほかにおもしろそうなものもないから。そのうち髪を染めるだの夜遊びしたいだのこんな家に生まれたくなかっただのと言いだすんだろう。それをいい子だなんて思うのは、その子が長じた後に振り返ればいいことで、とりあえずは子供をひっぱたいて叱らなくちゃならないんだろう、この私が。
たいした苦労もせず、いつまでたっても「末っ子」のまま四十路を迎えんとする私には、母の気持ちがたぶんまだ本当にはわかっていない。秋の日の午後、子供と歩く公園で大きなどんぐりを見つけた瞬間に湧き上がる喜びの実感を。