シーは意外と狭く、すいていた。園内で見かける着ぐるみはなんかバッタみたいなのとかキツネみたいなのとか、知らないキャラか地味なキャラばかりだったけど、人気キャラはランドのほうに出払っていたのだろうか。なんの予備知識もなく行ったので、イベントの時間とか見どころとか全然わからず、適当にぶらぶらしたわりに一通り見て回ることができた。ディズニーランドは広くて混んでてめんどくさくてうんざり、というイメージがあった反動で、意外!すいてる!並ばなくてすむ!というだけでものすごく楽しかった。ディズニーキャラは好きになれないが、トイレもきれいだしキャストのお兄さんお姉さんは親切だし、遊園地として優れていると思った。
園内ではベビーカーに幼児大のドナルドの子供?を4匹くらい乗せている人とか、自分と同じくらい大きな熊を抱いて移動する幼い姉妹、ぬいぐるみと行動する中年夫婦(写真)等、ぬいぐるみ系の人が目立った。
結婚式もやってた。このカップルの子供もディズニー好きになるのだろう。
家に帰ったら、首回りが真っ赤に焼けていた。顔と腕は日焼け止め塗っていたのに、首まわりは油断していた。熱くて痛くて、保冷剤を首に巻いて水をガブ飲みして寝た。翌日には足が痛み全身がだるく、低気圧で頭痛がするしで弱り果てた。当日は「意外と疲れなかったなあ」とか思っていたのに。また年齢を感じて凹んだ。
3泊4日のレンタカー付きパックで、ホテルが選べるというので欲張って3泊とも違うホテルに泊まった。一カ所でのんびりするんでもよかったかなと思ったけど、あちこち行けて楽しかった。でもホテルのプライベートビーチは狭く、浅く(干潮時のため)、泳げない私にはよかったけど、泳げる夫は不満で、少し離れたビーチまで行って潜って、ナマコを捕って戻ってきて、やっと気が済んだ。那覇で適当に買った沖縄民謡のCD(「登川誠仁&知名定男」)がすごくよくて、もう1枚沖縄カフェミュージックとかいうインストのCDも買ったけど、民謡のほうばっかり繰り返し3日間ずっと聴き続けた。沖縄の人は運転がのろかった。旅行前に私の兄(沖縄マニア)が「沖縄はのろのろ運転なので、いらいらしますが、なんくるナイサーとのんびり行ってください。」と忠告メールをくれたおかげでいらいらせずにすんだ。現地の人は道がすいていても時速40キロをキープしていて、それにいらいらしてピッタリ後ろにくっついて(沖縄のドライバーを脅えさせて)いるのはたいてい「わ」ナンバーの観光客だった。食べ物がおいしかった。沖縄そばは毎日2杯は食べていた(うちに帰ってからも私はまだまだ沖縄そばを食べたいが、近所にある沖縄関係は飲み屋ばかりだ。日暮里なら物産店があったのに、住んでた当時は全然興味なかった。もったいないことをした)。水族館も琉球村も混んでたけど、殺伐とした感じはなく、どこものんびりしていた。殺伐としているのは観光ツアーの団体客で、なぜか関西弁のヤクザライクな一団と何度も出くわしたことが印象に残っている。琉球村はテーマパークなのに、そこに住んでるみたいな普通のオバァが、売店というより土間みたいな店で普通にサーターアンダギーとか作ってて、実家に帰ったような気分になった。最終日は雨が降った。ホテルの人が「こっちの雨はすごいですよ」とか言ってたので、予定のエリアを縮小して早めに空港に戻れるように動いたが、結局たいして降らなくて、行けなかった所は「また次に来たときに見よう」と思ったので、またいつか行くだろう。沖縄に行くと三線を始めたり移住したくなったりするとよく聞くので警戒していたが、なるほどこれは参ってしまうなあ、と思った。日焼け止めは気をつけて塗っていたつもりだが、けっこう焼けて、いま顔がしみだらけだ。夫は沖縄民謡のCDを集め始めている。
あと「幻の味 ブルース」は次行ったときも絶対買う。
行く先々で小学生による標語を見た。もう一人何枚書いたんだっていうくらいたくさん見た。内容はおもに挨拶について、人情について、
あと不審者による拉致に注意。撮影できなかったが、「あやしいあなた!私たちから友達をうばわないで」という標語がやけに鮮やかに記憶に残っている。
コザ(今は沖縄市)の中心地をちょっと歩いた。米兵向けのオリエンタルな土産物屋とか、派手な(昭和ヤクザ系)洋服屋がたくさんあった。商店街はさびれていた。そのあと平和祈念資料館に行ったら、戦後復興期のコーナーに、まったく同じような土産物屋・洋服屋があった。
コザのクラブ。なぜローマ字か
コザの予備校。なぜ鬼か
琉球村というテーマパークでは水牛とヤギとハブとマングースを見た。ハブvsマングースの闘いショーは動物保護法で禁止されてて、CG映画で見ただけだったが、説明の人の口上のうまさについハブ油を買ってしまった。口内炎でもニキビでも何でも効くらしい。いま肌トラブルがないので使えない。早く口内炎ができないかな。
ちゅら海水族館のカマイルカ&バンドウクジラショーはかなりレベル高い。今までのワーストは品川アクアスタジアムだが、何もかもそれと対極というかんじだ。芸達者で、ジャンプとかの大技だけじゃなく、細かい芸がうまい。何よりスタッフとイルカ・クジラたちとの連帯感が強い。イルカもクジラもよそから連れてこられたような感じがなく、地元の子っぽく落ち着いていて、ツヤツヤピチピチしていた。
巨大ジンベエザメは常にだれかを背中に乗せたり、腹の下に従えたりしててみんななかよし。私が魚だったらこういう、大きい魚の陰に隠れているタイプの奴だったろう。
水族館ってたいてい「地元コーナー」があって、東京湾の生き物とか、霞ヶ浦の生き物とか地味なんだけど、ここのはサンゴやら熱帯魚やら、派手で楽しい。
マナティのかわいさは半端ない。性別ごとに2頭ずつ水槽にいたが、我先に餌を奪い合うというようなことはしない。スライスしたカボチャを、もらうそばからポロポロこぼして、それをゆっくり見送ったりしている。手を使って口に入れるしぐさもかわいい。
時々水槽の床に手をついて泳いでいた。私もこの後こんなふうに泳いだ(ホテルに着いたらちょうど干潮時で、ビーチがものすごく浅かった)
GW、沖縄に行きました。
沖縄で最も強く印象に残ったものは墓だ。墓がでかい。ガレージかと思ったら墓、公衆トイレかと思ったら墓、住宅地だと思ったら墓である。古いのも新しいのもみんなでかい。
集合墓地タイプと
山の斜面などを利用した洞窟タイプとがある。墓自体が巨大な丘状になっているものもある
一族みんなでお参りできるようにか、墓前のスペースもとても広く取ってある。台風にも負けないようにか頑丈そうだ。住めそう。ふだん墓地を見るときには哀愁というか、人の命のあっけなさを感じたりするもんなのだが、そういうのがない。沖縄の墓はなんか生き生きしている。強い。
墓の近くの斜面にあった、松田カマさん百歳記念。記念植樹か何かしたのか、それともただこの記念板を立てただけなのかはわからない。ただカマさんという女が少なくとも百歳まで生きていたのだ、そして今はあのでかい墓のどこかに、一族のみんなといっしょに眠っているのだろう(まだ生きてたらごめん)。
ロケットくん
人工衛星の一部
ロケットや人工衛星はゴテゴテボコボコした、手作り感のあるものが多い。
人工衛星の表面は金色のアルミホイルみたいなもので覆われていて、何か高校の文化祭のときの体育館裏にありそうなかんじだ。
広い構内のあちこちに、興奮した小学生がいる。食堂で隣に座っていた小学生男子(4人兄弟の長男)は、乳児を抱えた母親にラーメンを食い散らかしていることを怒られている最中も「俺、興味あるものばっかし。ていうか、全部興味ある。興味あるものしかない」と誰にともなく宣言していた。
着ぐるみとしての宇宙服
寂しげないのしし
筑波山のほうに「東筑波ユートピア」というのがあって、以前から気になっていた。お猿のマジックショーとかやってるらしい。で昨日ちょっと軽い気持ちで行ってみたら筑波山じゃなくてその隣の山の中にあって思った以上に遠く、もっと覚悟を持って行くべきだったと思ったが、その遠さはもしかしたら心理的なものだったかもしれない。筑波山ほどは賑わっていないが、山頂からハンググライダーなどもできるのでそこそこ車が来ている。が、ユートピアのほうはこんな皮肉なネーミングはないというか、なんか久々に人間でいるのが申し訳なくなるようなところだった。ロープに繋がれて同じ場所を往復するだけの猿、小さいケージの中で震えているうさぎ、なぜか一匹だけいるライオン、神経症的に途切れなく鳴き続けている山羊。「竜宮園」と名づけられた小路(山中の斜面。薄暗い。吹きさらし)に並べられた煤けた水槽には、ナマズやどじょうが泳いでいる。犬用リードに繋がれた泥だらけの猪が、ズボンに鼻面を押し付けてくる。どこを見ても寒そうで寂しそう。そのほかすべての施設が「寄せ集め」という言葉を体現していた。
客に背を向ける猿
お猿のマジックショーはかなり笑えたが、調教のお姉さん(明るくけなげでけっこうかわいい子なのがまた哀れ)が必死になって猿に何かやらせようとするのだが猿は完全に興味ない様子で、これは先月くらいまで素人野生の猿だったのではないかと思わされる出来具合。曲芸をする大猿小猿コンビは多少舞台慣れしているようだったがそれでもかなりのマイペースで、舞台の上で次々と漏らし、手でおしりを拭っていたというのに、お姉さんがショーの後「ではこれからお猿さんと握手コーナーがありまーす」と言ったのには耳を疑い、さらにまた喜んで握手しに向かう客らの存在に目を疑った。入場料1000円てマジかよと思ったけど(よくわからない基準で100円割引してくれたが)映画を見るより安く短い時間でさまざまに感情を揺さぶられたことを思うと安いかもしれない。