長いこと書けなかったアメリカ旅行について。
それなりに楽しんで、写真もビデオもいっぱい撮ってきたんだけど、帰ってきてからしばらくアメリカのことは思い出したくない日々が続いていた。
アメリカに対して心を開けなかったのだ。
ガイドブックの文面を確認するだけの、何の発見もない旅を、表面だけでやり過ごしながら帰国の日まで耐えていた。日本ばんざい。日本の湿気、緑の多さ、ごはんのおいしさと量のちょうどよさ、店員の腰の低さ、風呂。日本大好き、右翼になって帰ってきた。
なんでそんなことになったかというとやっぱり英語がわからないからだ。
多少鬱が入ってたとしても、言葉さえわかれば、もう少し好奇心とか冒険心とか湧いていたかもしれない。あと子どもがいた。
時差ボケと、大人の都合に振り回されるちゅう太をこれ以上不安にさせたくない一心で、歩けるところも抱っこしてやり、できる手伝いもさせず、必要以上に甘くして、結果一人で勝手に疲れた。経済と言語面で夫に頼りきっていたので、それ以外で頼ることは思いつかなかった。毎晩眠れなくて(時差ボケと落ち着かなさで)頭痛をこらえつつ深夜まで洗濯ものにアイロンがけして疲れたあげく、忘れ物をしたり、忘れたと思って問い合わせたのに後で出てきたり、後半は予定をこなすだけで精いっぱいという状態だった。
バグダッドカフェに連れていかれて、アーニホンジンミンナヨロコブワカッテルワカッテル、と店員に歓迎されたけど、私はそれほどこの映画が好きでなく、困った。
グランドキャニオンでは真夜中外に出て星を見たかったけど、何の危険があるかわからなかったのと、時差ボケで興奮しているちゅう太を刺激したくなくて言い出せず、窓の中からちょっと見上げただけだった。
手芸店やフリマをもっとゆっくり見たかった。巨大スーパーに行きたかった。
そういったことを正直に出せなかったことが恥のように意識に残った。
サンディエゴの駐車場でホームレスのおじいさんと少し喋ったことが、唯一の心の通った体験だったような気がする。あのときのように、どこでも喋ろうと思えばたぶん喋れた。聞き取れないことはもう一度言ってくださいと、それなら英語で言えたので。でも夫にへたな発音を聞かれたくなかったのと、そうまでしてコミュニケーションとろうという熱意が湧かなかった。防衛的すぎては旅はできないけど、開放的すぎては子どもを守れない。どっちつかずだった。仕方がないのか。
砂漠の中のフリーウェイを走りながら外を眺めていると、おもちゃみたいにカラフルな貨物列車(ものすごく長い)が遠くの山の中腹に見えたり、小さい竜巻が次々生まれてはクルクル走って行ったりした。あの砂漠の中を歩いてみたいと思ったけど、黙っていた。そしたらちゅう太がうんこしたくなったので、途中で車を停めてサボテンの茂みの間にしゃがんでうんこさせた。ものすごい炎天下で、明るい色の砂に日差しが照り返して目がつぶれそうだった。あれも良い体験だった。ちゅう太のうんこはきっとフンコロガシが運んで行くねと話し合った。
ちゅう太はいまも時々思い出してはフンコロガシの話をする。グランドキャニオンとスパイダーマンのことも話す。また行きたいと言うこともある。この旅行はちゅう太にはどんな意味があったんだろう。あとこれ夫のリフレッシュ休暇だったんだけどあれでリフレッシュできたんだろうか。
グランドキャニオンの夜明け
この3連休は雪国へ。スキー場といってもちびっこエリアは山のふもと(というか駐車場の目の前)だったのでリフト代も何もかからないところが良い(金がかかるスキー場もあるので注意)。ここで延々ゆきだるま作り・雪合戦・そり滑りを繰り返した。楽しかった。次冬はちゅう太もスキー教室に入れる年齢になるが、私だけでも幼児エリアでトンネル堀りとかして遊びたい。
一応有料のアトラクションもあったので試してみたが(スノーバイクにつなげたゴムボートに乗ってぶんぶん振り回される。3分300円)雪がビシビシ顔に当たって痛かった(こわくて楽しかった)。
私はどうせ雪でちょっと遊ぶだけだし、と思ってあまり本格的な装備はしていかなかった。雪がやんでればまあこれでもよかったかもしれないんだけど(晴れてたらゴーグルは買わないといけなかったかも)、雪はずーっと降り続けていて、ただのダウンジャケットはどんどん重く冷たくなっていった(これは私だけで、夫とちゅう太のコートは大丈夫だったようだ)。ズボンはユニクロの暖パン、手袋はDIYショップで480円の冬季作業用ので充分だったけど、来年も行くなら上着はなんとかしたい。標高3mでも雪山をなめてはいけない。
連休明けて、今日から幼稚園新学期。今朝はごねずに素直に入室、先生の話も落ち着いて聞けたそうだ。帰る時はお友達ともっと遊びたがって少しもめたが、まあまあのスタート。問題は私で、また毎日の送迎生活を思うとめんどくさい。昔から同じところに通うのが苦手だった(ひとつの会社に2年が限界。25からフリーランスに)。早起きも弁当作りも平気だけど、同じ人に毎日会って話すのが苦痛。たとえ数分の立ち話程度であっても。先生に会うのが週に1回だったら楽しみなんだけどなあ。
型紙をはさみで切る
とかしバターと卵をよく混ぜる。卵はちゅう太が割る
粉を加え、よく混ぜる。スモックを裏返し且つ後ろ前に着ている。なかなか混ざらないので素手でパンチ。家族だけで消費するのでご容赦を
生地を麺棒でのばす
生地に型紙をあてて包丁で切る(ここは私がやる)。ちゅう太は切った生地をフォークで刺して穴をあける
ここから翌日。クッキー焼き上げまでに3時間もかかってしまい夜になったため。昨日焼いたクッキーを組み立てる順に並べる
キットには含まれていないマーブルチョコやアポロチョコ、こんぺいとうなどをアイシングでくっつけてデコる
ちなみに目指すものはこれ(無印良品の「じぶんでつくるクリスマスヘクセンハウス」)
どーん。完成。余った生地で星とか人形型クッキーを焼き周囲に散らす。台所が汚い
家の裏側。傾いた窓と柵、不審者
狙われるサンタ
食べられるサンタ
24日20時現在、廃墟に倒れる首なし死体(食べきれなかったらしい)
えらく面倒だったが、3歳児にもなんとか作れることがわかった。夜はママ作ディナーのあと念願の、念願の、念願のケーキを腹いっぱい食べて喜び踊り叫び、疲れ果て、サンタさんが来るかどうか念押ししながら寝た。去年まではなんとなくあやふやだったが、今年はクリスマスを認識した初めてのクリスマス。激しかった。これからサンタを召喚する。
・きぬ川花火大会(発射台のほぼ正面にある土手に寝転がって間近で花火を見るという初体験。ちゅう太は一発上がるごとに跳びはねながら「おおきいぞ、おおきいぞ、ばんざーいばんざーい、めりーくりすます!!」と絶叫し、近くにいたおじさんから「おもしろいなあ」と唐揚げをもらっていた)
・梨狩り
・祖父母宅(夫方)
・霞ヶ浦遊覧船
・軽井沢(つるやという老舗旅館に泊まった。子供にやさしい良い宿だった)、(竜返しの滝というところの近くで、若い女が川に転げ落ちるのを見た)
9月だけでこれだけ出かけた。写真もたくさんとったけど、画像をPCに移してリサイズしてアップロードしてっていう手間をかける時間と気力がない。
これだけせっかく連続で撮ったのでがんばって載せてみた「トンネルジム初踏破」
写真後半、途中から小1男女が参入してきたが、そいつらがやたら「(よじのぼるのに苦心するちゅう太を見て)そんなに難しいかな?」とか「この遊具は…3歳から12歳までか、セーフ」「あっちの乗り物は6歳までだからうちらもう無理だね」「もうすぐ8歳だもんね」などと大人アピールをするので、「この子まだ3歳なんだ」と言ったら、男児は苦笑いで顔をそむけ、女児は「世代が違う」とつぶやいたのだった。
もう先週のことだがつくばのエキスポセンターに行った。展示室は以前とまったく変わりなく、3分の1くらいが原子力発電に親しむコーナーで、エネルギークイズでは2014年(だったか)の予想は原子力が大半で地熱とか自然エネルギーは1%くらい(うろ覚え)とかになってて(何年に立てた予想かは不明)、まあこれから先のことはまだまだ全然わからないわけだけど、今回の原発事故についての但し書き的なものも一切なく、今後もよっぽどのことがなければ展示内容を変える気はない、という落ち着きぶりを感じた。子どもたちが最近の脱原発傾向と比較して混乱しないだろうかと心配したが、ちゅう太はとにかくボタンを押したりハンドルを回したりできれば楽しいので満足し、ほかの親子も盛りあがっていた。クイズの画面はブラウン管だし、ロビーに出るとセンター周辺の放射線量が模造紙に手書きで掲示してあったり、科学技術の先端をどうこういうわりにレトロな施設だ。いつもここに来ると『漂流教室』に出てくる「レジャーランド・天国」を思い出してしまいうすら怖くなる。ちゅう太は中庭にある広場で象さんのすべり台をすべろうとして「あつい!あつい!」と叫び(外の遊具全部すごい熱さになってた。なんでこんな素材で遊具を作るか)、館内も節電で暑いし、かわいそうなので帰りに門のところにある売店でかき氷を買ったが、食べるところがない(外にテーブルとイスはあるけど日よけがない)。しかたなく門外に出て、木陰に座って食べた。子連れ向け施設なのになあ。こういった小さな気の利かなさが積み重なって「ケッ天下り財団がよ」とか思われてしまうと損なので、もうちょっと気を配ってほしいです。