解答速報を見ると、昨日今日で受けた3科目のうち2科目は合格だ。
最後の1科目は、2科目でワンペアな、両方受からないといけないもので、多くの者がこれにひっかかって何年も受験させられている落とし穴だ。
あまりに難しいというか意地悪な出題なので去年は非難轟轟で、そのせいか今年はわりと易しかった。そのかわりペアのもう1科目のほうが難しく、今回はそっちを落としてしまった。余った時間に見直しして訂正してしまったのが仇だった。あそこを直さなければ合格だったのに。くやしい。
来年は3年目なので最後のチャレンジだ(3年以内に全科目合格しないといけない)。
こういう場合また全科目受け直す人もいるけど、来年だめだったらあきらめる。
そもそも保育士になりたいわけではなく、過去の心残りを清算したかっただけなので。
来年だめだったら、過去からぜんぜん成長してないってことで、新しい展開とか望まないで挫折して卑屈に生きていく。
読みにくいが「まいにちみずおやりにきてください」
庭の草が生えてるところの前(地べた)にセロテープで貼っていたので、説得したら、外の壁に貼り直した。いまのところ奇跡的に風に飛ばされず残っている
長くておさまりきれなかったが「ねるへやでNECおやるのきんし」
リビングから廊下(その先に寝室が)に続くドアに貼られた。
私が夜中にこっそり仕事をしているのがバレている(NECはパソコンをわざわざ調べにきて書いた。NECと書いてパソコンと読むと思っているのかもしれない)
間違いだらけだが「かせきがほかんされています こわれやすいのでさわらないでください。」
最近幼稚園の庭で化石発掘ブームが起きているのだが(ただの石を拾ってくるだけ)、今日海浜公園に行った際も道々でかい石を拾ってやまず、どうせ車の中かリビングでゴミと化すのだと思っていたらこうなっていた。成長を感じる。この石をバッグに入れて持ち歩かされたのは私で、すごく重くて参った
仕事がしたい。けど連休に入ってしまった。
父の服でフォトフレームを作り、姉たちに送りつけた
作りながら「悪魔のいけにえ」のレザーフェイスを思い出してならなかった(死体の皮でランプシェードとか作る殺人鬼)
父が死んで百日経った。平日だったので今回は実家に行かなかった。姉1と、母の姉妹が来てくれて、お茶飲んでおしゃべりして解散。そんな百か日だったそうだ。
母がだいぶボケてきて、1分前に話したことをまた話す、私の言ったことをハイハイ聞いてるくせにまったく理解してない、1つの件に固執して毎日電話をかけて確認してくる(姪の結婚式に着てく着物について。式の後は電話こなくなったけど)など。もともと不思議ちゃんだけど不思議とボケは別。ということがよくわかった。一応得意分野についてはまだしっかりしている(親戚の近況などは最新情報を正確に把握している)。今年80歳。個人差はあれどだいたいこんなもんなのかな。それならばしかたがない。
思えばこれが逆だったら、父が一人残されてたら、父はしっかりしたやもめになっていただろう。きちんとしてたい人だったし人に世話かけるのは嫌いだったから、ボケたり寝たきりになってたらそれを苦にしていたかもしれない。母も人の世話になるのは嫌がるほうだけど、ちゃっかりしているところもあるので、ボケる分には母の方が有利。よくわからないがそんなふうに思うことにする。
話は変わるが先日義母が来たときちゅう太と3人で植物園に行った。
ちゅう太が、温室に入るのを嫌がって抵抗するので何かと思ったら、食虫植物という存在を知って以来、それに近づいたら自分も食べられてしまうと思っていたらしい。説明してやったら温室に入れたけど、私が食虫植物に触ろうとするのを必死になって止めていた。
無知とボケ、どっちもおもしろいけど意味は全然違う。無知には可能性があるがボケはやっかいだ。母は新しいステージに向かって確実に進んでいる。私も関わらなくちゃなんない時が来る(母は長生きしそうだし)だろうから今のうちに今できることをやっておかなくちゃいけない。
仕事を始めて3週間。ちゅう太は中耳炎からの~ぜんそくからの~インフルエンザとスライドし続け、園も習い事も歯医者の定期検診も何もかもぶっちぎって連日朝から晩までテレビを見ている。今月は3日間くらいしか登園できなかった。このまま春休みに入りそうだ。
もう熱は下がって元気だけど発症から5日間は外出できない。まだぜんそくが少し残っているので調子よくなってはしゃぐとすぐ疲れ、という中途半端な元気さで家にいる。
私も調子に乗ってちゅう太を留守番させたりテレビをあてがって仕事をしてるけど、さすがにちょっとまずいなと。元気なくせに宿題は?と言うと「そんなには元気じゃない」と言って有益なことは何もしない。じっと座ってごはんも食べられないし明らかに後退していると感じる。取材に出るときはパソコンを貸してやることに(なし崩し的に)しているが、そうすると何時間でもyoutubeでおもちゃとか食玩のレビューを見ている(世の中にはすごいお兄さんがいるものだなあと私も感心しているレオンチャンネル)。新学期から建て直そうと思う。
私は専業主婦の立場でも必要最低限の家事しかしない人間だが、最低限のラインだけは一応守っていた(ゴミ、洗濯、排水溝などの汚れ関係)。しかし仕事をしていると、ゴミはたまりがちだし排水溝は忘れがちだ。ガスレンジ周辺にも油汚れがたまりつつある。洗濯物はちゅう太が外出しなけりゃ少なくてすむので、2日に一度になってきている。私は人がいると掃除機をかけられないので部屋はゴミ溜め化し、リモコンはすぐ行方不明になるし新聞や空き箱がどんどんたまっていく。家事って些細なことの積み重ねだけどチリが積もって山になるのは意外と早い。
それにつけても仕事は楽しい。楽しすぎて笑いが止まらない。むかしは書くのは好きだけど取材とかで人に会うのは気が重かった。今は全然平気で人と会えるしだれにでも興味を持てる。たまに失敗もあるが落ち込まない(そういう暇はないし、昔に比べずうずうしくもなっている)。そして人脈がすごい役にたっている。私が仕事始めたと言ったらママ友みんなが喜んで協力してくれるのだ。ママ友作りに必死になってた乳児時代、母親同士励まし合って園長と戦ったこの3年間は無駄ではなかった。
仕事がたてこんでるほうがちゅう太にも優しくなれるし(争ってる暇はないので比較的冷静に対処できる)。ああ働くって素晴らしい。春のせいかハイテンションである。大丈夫か私は。
夫実家へ向かう仮面ライダー鎧武カチドキアームズ
(雑誌「てれびくん」ふろく紙製マスク装着)
仕事を始めて2週間弱。仕事を始めたと同時にちゅう太が中耳炎になり、わりと重症で、でも薬飲んだらすぐよくなってきたと思ったらぜんそくにスライド、随分長く幼稚園を休むことになった。
そしたらちゅう太は食欲もなくおとなしく寝ているかテレビを見ていて、私は弁当・連絡帳・送迎に煩わされることなく久しぶりの仕事に集中できるという奇跡が起きた。
取材にもちゅう太を連れてくか留守番させるかできた(取材先は近所ばかりなので数時間おきに様子見に帰ったり、車の中で待たせたりが可能)。茨城でふたたび仕事ができるとは思わなんだ。地元ローカルメディアのフリーライター、理想的な仕事ではないだろうか。ギャラ安いけど。
そうこうするうちに卒園式の日となった。まだセキは出るけどちゅう太はがんばって出演、ブランクをものともせずぶっつけ本番で劇・手話の歌・楽器など見事全部こなした。仕事にも園にも穴をあけずにすんで本当によかった。私はこの2週間で仕事のペースをだいたいつかみ、取材のストックも少しできたので、今週から弁当・連絡帳・送迎をこなしつつ仕事をすることとなる。リハビリ期間を与えてくれた中耳炎とぜんそく、ありがとう。今後は春休みに入るまで、ほぼ毎日お迎え時間ギリギリまで取材入れちゃったからもう早退とかしないでくれ。これからが問題いや本番だ。