2013'07.10.Wed
あと一か月で受験だというのにキョウリュウジャーがおもしろすぎて困る。ちゅう太と一緒に作る食玩のミニプラも楽しい。ちゅう太は園では禁キョウリュウジャー中なので、反動で家ではキョウリュウジャーの話しかしない。私は戦隊ものを見るのは初めてに近い。だからこれが他作品と比べてどうなのかわからないが、今の私には非常におもしろいのでちゅう太のヘビロテ付き合いに耐えられる。よくこの手のものは(イケメンキャラ等)親向けに作られているなどと言われるが、そこ重要。幼児はしつこいので親がつきあいきれない内容じゃ困るのだ。はじめはいちいちびっくりしていた千葉繁のナレーションにもすっかり慣れ、心地よくなってきた。獣電竜やキョウリュウジンの質感が、食玩とまったく同じ(ミニプラが精巧なのではなく、テレビのほうがチャチい)なところもいい。自分でミニプラを作り食玩を探してスーパーを見て回るようになったら、何と何が合体してキョウリュウジン何になるとか、やっと把握できるようになった。理解が進むとさらに見るのが楽しくなるもので、(17話から見始めたので)動画を探し、画面を隠す広告を蹴散らしながら1話から16話まで全部見てしまった(ハングル字幕が入ってた)。ちゅう太は人間より恐竜なのではじめはプテラゴードンが一番好きと言っていたが、最近は大人になったらキョウリュウゴールドになるとか、アミイちゃんかわいいとか言うようになった。これも成長か。私が一番好きなのはウッチーとアイガロンとアミイ。ちゅう太とは趣味が合う。さあ勉強に戻らなくては
PR
2013'07.02.Tue
行きつけの小児科のホームページを見たら、子どもの甲状腺検査の助成金が市から出るけど知らない人が多いみたい、という記事があり、その病院では検査が無料(助成金の上限金額で検査を受けられる。他の病院だとけっこう高いんだけど)になるっていうんで、せっかくだからと行ってきた。そしたらあっさり異常なしと出て、ほっとした。
ちゅう太は原発事故後の3月15日から2週間厚木市に疎開していた(2011年3月29日日記参照)。ママ友の中には九州とかに逃げてた人もいるのにたいした近距離疎開であった。でもそのころは状況もよくわかんないし私にもろくな知識がなかったからそれで一応安心して、毎日おもっきし外遊びをしていた。
その年ちゅう太はよく鼻血を出した。その前年に鼻をぶつけて以来時々(月1程度)鼻血を出していたので、そのせいだと思っていた。でも週2~3ペースで鼻血を出すようになり、2012年ジルテックを飲まずに済んだのは夏の一か月間だけ。あとはずーっと薬を飲んで鼻血と鼻水とちくのうを抑える日々だった。今年に入って6月からやっといちおう鼻の炎症が治まったと言われ、鼻炎薬から解放された。今のところ鼻血もちくのうもない。炎症の治りが遅かったのは放射能のせいと言われたらそんな気もするし、たまたまと言われたらそうかなと思うし、結局よくわからないままだ。ともあれちゅう太の甲状腺に異常はなかった。はっきりしている事実はこれだけだ。
翌日保健センターに助成金の申請書を出してきた。あんまり受けてる人いないみたいで、窓口の人は申請書の手引きをファイルから探して、数人で額つきあわせて読んでいた。ほかの甲状腺検査が受けられる病院ホームページを見ると、「当院で検査が受けられます」と明記してあるところのほうが少なく、明記されていても「詳しくは問い合わせを」だったりして不親切だ。検査の需要はないんだろうか。でもママ友が集まれば安全な食材は何だとかどこが高線量だったとかいう情報を交換しあっている。みんな心配している。
検査の同意書に、異常が出てもそれが原発のせいとは限りませんとか、検査結果を統計資料にしますとか書いてあり、ああこれは広島のABCCみたいなもんなのねって思ったら自分が歴史の中にいるように実感されてきた。
異常なしでも年一回は検査したほうがいいですよと医者に言われた。この若い先生は震災直後、何週間か病院を休んで東北支援に行った熱血派だ。少なくともほかの病院よりは信用できる。こういうとこが身近にあってよかったと思うし、そんな先生が必要な状況がこわいとも思い、これから世の中どうなっちゃうのかなって。
ちゅう太は原発事故後の3月15日から2週間厚木市に疎開していた(2011年3月29日日記参照)。ママ友の中には九州とかに逃げてた人もいるのにたいした近距離疎開であった。でもそのころは状況もよくわかんないし私にもろくな知識がなかったからそれで一応安心して、毎日おもっきし外遊びをしていた。
その年ちゅう太はよく鼻血を出した。その前年に鼻をぶつけて以来時々(月1程度)鼻血を出していたので、そのせいだと思っていた。でも週2~3ペースで鼻血を出すようになり、2012年ジルテックを飲まずに済んだのは夏の一か月間だけ。あとはずーっと薬を飲んで鼻血と鼻水とちくのうを抑える日々だった。今年に入って6月からやっといちおう鼻の炎症が治まったと言われ、鼻炎薬から解放された。今のところ鼻血もちくのうもない。炎症の治りが遅かったのは放射能のせいと言われたらそんな気もするし、たまたまと言われたらそうかなと思うし、結局よくわからないままだ。ともあれちゅう太の甲状腺に異常はなかった。はっきりしている事実はこれだけだ。
翌日保健センターに助成金の申請書を出してきた。あんまり受けてる人いないみたいで、窓口の人は申請書の手引きをファイルから探して、数人で額つきあわせて読んでいた。ほかの甲状腺検査が受けられる病院ホームページを見ると、「当院で検査が受けられます」と明記してあるところのほうが少なく、明記されていても「詳しくは問い合わせを」だったりして不親切だ。検査の需要はないんだろうか。でもママ友が集まれば安全な食材は何だとかどこが高線量だったとかいう情報を交換しあっている。みんな心配している。
検査の同意書に、異常が出てもそれが原発のせいとは限りませんとか、検査結果を統計資料にしますとか書いてあり、ああこれは広島のABCCみたいなもんなのねって思ったら自分が歴史の中にいるように実感されてきた。
異常なしでも年一回は検査したほうがいいですよと医者に言われた。この若い先生は震災直後、何週間か病院を休んで東北支援に行った熱血派だ。少なくともほかの病院よりは信用できる。こういうとこが身近にあってよかったと思うし、そんな先生が必要な状況がこわいとも思い、これから世の中どうなっちゃうのかなって。
2013'06.21.Fri
すきまを埋めるのを外側から手伝ってやり完成すると、しばらく中でじーっとしていた。
出てくるときは「ぶちこわす」んだそうだ。それから孫悟空のように飛び出てきた。
このハムはなぜか車輪をわざとひっくり返してしまう。掃除して直したあとはしばらくクルクル回すが、夜中のうちに必ず倒している(うっかりじゃなく故意にやってるところを見た)。
ハムチャンが家から出るのは毎晩ケージの掃除するときだけ。旧ハムのミスターみたいに脱走する気はないらしい。
掃除後しばらく手に乗せて部屋中を歩いてやると、おとなしく周囲を見まわしたりしている。ハムチャンは運動が嫌いだ。ハムチャンが来てからまだ3か月経っていない。でもすごくでかくなった。太っただけかもしれない。
2013'06.08.Sat
サーカスにて。ピエロにいじられる夫
(道路のように見えるが公園内の自転車用コースです)
ちゅう太が意固地になることが増え、それは自立心の表われ成長のしるしであるとわかっていても、ムカつく。日々衝突ばかりでキレやすくなった私はこの世で唯一思い通りになるハムチャンをなでることでかろうじて気を静めたりしている。去年くらいから毎晩夕飯時にビールとかワインとか飲む習慣がやめられなくなり、金曜だけは夜空手に行くため飲めないのでなんか落ち着かない。アル中に向かってまっしぐらか。むかしは酒は誘われれば飲むが、自分からは全然飲む気がしなかったのに、と思うとなんか凹む。私はずいぶん変わってしまった。
親子は鏡なのでどっちが最初にイライラしだしたのかもうわかんないんだけど、今週はほんと衝突が多くて、今朝はささいなことでもう我慢できなくなってストライキに入り、ちゅう太は夫に半日どっか連れてってもらった。その半日の間に勉強して裁縫してハムチャンなでて猫の本を読んで気を取り直し、帰宅したちゅう太と仲直りできたが、仲直りしたとたん調子に乗るちゅう太にまたイラつくのである。まだ5歳まだ5歳まだ5歳、と唱えてみると、こんな小僧に本気でムカつく私の方が悪いとわかるのだが、目の前のちゅう太は態度だけは100万歳、反抗の勢いはジェット機並みで、でもそこまで勢いづかせているのは私の接し方がひどいからで親子は鏡親子は鏡とでも書いて壁に貼ってみようか。つらい。猫がほしい。この苛立ちをいやすにはハムチャンは軽すぎる。ハムチャンよりでかくてずっしり重みのある猫を抱いて、猫に乗られて眠りたい。アニマルプラネットのねこまにあを見せてたらちゅう太も「おりえんたるがほしい」「めいんくーんがほしい」「ちょっとぺっとやさんでかってきてよ」等言うようになった(そういう高いのは買えない。雑種がいい)。猫を飼えば親子のかすがいになってくれるだろうか。とちょっと本気で考えているが今から子猫を飼って寿命が15年としてちゅう太の成人前に死ぬか、とか計算すると迷う。逃避手段でなくちゅう太ときちんと向き合って解決策を考えるべきなんだけど、ちょっと眠かったり疲れたりするだけでもうものすごくキレやすくなる乳幼児並みの私、脳の病気だろうか。でも家族以外にはまったく温厚なのでたぶんこれは甘え。もっともっと大人にならないといけない。今日はもう猫の本読んで寝る。
2013'05.25.Sat
先週はフラフラしてたが、今日は足で蹴るのがうまくなり、ひとりにしてくれというので追走せず待ってたら、自力で公園(広い)を(地面蹴りで)一周して「きょうはもうおしまい」。あとは砂場とブランコで遊んで帰ってきた
そろそろ違う場所に衣類をしまうことにしたほうがよさそうだ
(ザリちゃんとのふれあいは毎日している。頬ずりとかする)
金魚、ハム、ザリと幼児のいる家らしいラインナップとなってきた。あとはカブトムシだな
この夏私は資格試験を受けるので、平日はなるべく家事を手抜きして勉強に費やしている。今日はちゅう太とパパで床屋に行き昼食にラーメン食べて帰ってきてもらった。今後の土日もなるべく男衆で過ごしてもらうよう頼んでいたら、夫が夏休みにちゅう太と2人で旅行したいとか言い出した。そこまでは望んでなかったというか無理だと思ってたんだけど、考えてみたらもう5歳、父親が果たす効果も大きくなるとwikipedia(「父親の役割」)にも書いてあったし、双方に良い経験になるし、心配ではあるけど2日間の自由満喫の魅力にはかなわないのでちゅう太に聞いてみたら、あっさり「いいよ」と言うので(お泊り会終わったばかりでまだ自信に満ちている)、7月は男二人旅に決定である。今からわくわくしているがその2日間に私勉強できるだろうか。誰かに話すと飲みたくなっちゃうから秘密にしとかなくては。
2013'04.25.Thu
しかしハムチャンはもうケージのフタにわずかなスキマがあいていれば勝手に脱走するようになっていた
(デモ演奏に合わせて指を動かし弾いてるつもり)
先週末から熱が出て寝込んだ(私が)。週末は夫がどうにかしたらしい。月曜も(入園3年目にして初めて)夫に幼稚園送迎を頼んで、ちゅう太の通う耳鼻科でついでに私も診てもらい、薬をもらって3日目の今日は鼻汁と痰が濃グリーンから淡イエローになり、連休までにはなんとかなりそうだ。しかしずっと頭痛がする。食欲がなくちょっとやせた(嬉しい)。
私が寝込んでいる間のちゅう太はけなげに私の背中をさすってくれたり、「ねつでもはかるか?」と体温計を持って来たり、ポカリやティッシュを運んでくれたりとなかなか役に立った。少し前なら遊んで~おきて~と揺り起こされてたところだが、今やちゅう太にはちゅう太の暇つぶし(恐竜DVDその他)があるので、半日ほっといてもらうことが可能となった。夢のようだ。
でもちゅう太なりに不安だったみたいで、今朝は「おれひとりぼっちになったらどうなるの?」とか聞かれた。パパママが年取って死ぬころにはちゅう太にはちゅう太の家族ができてるから大丈夫だよと言うと「え?あたらしいママ?」だと。まだ無理か。
父の句集作りのしめきりは連休後半、今日は一日印刷に費やしている。あと寝込んでいる間にヤフオクで足踏みミシン(電動じゃないやつ)を探して母に買ってやった。ここんとこ誕生日も父の日母の日もちゅう太の写真だけですませていた私が、突然大盤振る舞いをして、今後はまたちゅう太の写真のみに戻る。こんな生き方しかできない。
私が寝込んだと知った母が、取り急ぎカップめんとかお菓子を宅配便で送ってきた。も~そんなのこっちでも買えるからいいのに~と思ったけど、あればあったで実際助かっちゃったので、親はありがたいものである。子にうざがられても断られてもあと一歩踏み込むことは、親として絶対に必要なんだろうと思う。ストレートにうざがったり断ったりできる相手というのも親しかしないのだし。ああそのうち両親もいなくなっちゃうんだなあ。あたらしいママはできないことも私にはもうわかっています。
2013'04.08.Mon
パキケファロサウルスを襲うハムチャン
父親の句集を作ってやる約束をしたのは10年前(70歳の祝いのつもりだった)、しかしまだ時期が早いとか良いのを選んでるからとか言ってるうちに私がごたごたしたり父親も入院したりして、80歳を迎えた今年諸々落ち着いたのでやっとGOサインが出た。
私は印刷屋に頼むつもりでネットで安いとこを探したりしてたのだが、父はコピー本でいいという(そっちのほうが手間なんだが)。なんでもちゃんとした本を作るとなると俳句の先生の許可をもらって、選句してもらって、推薦文を書いてもらって、謝礼をしないといけないから自由にできないんだそうだ。さらに立派な句集を自費出版した句友がのきなみ2年以内に死んでいる。元気だったのに本の製作開始と同時に倒れ、結局その本が香典返しになってしまった人もいるという。
田舎の爺さん婆さんが大金つぎ込んでハードカバー本なんか出すと、そこで人生の区切りがついてしまうのかもしれない。父さんはもっと気長にのんびり楽しみたいので簡単な本で良いです。と達筆な長文手紙が来た(父は耳が遠いので手紙でやり取り)ので、画材店で紙を選んで家のプリンタで印刷して見本を送ってやりとりして、春休みに入ってからすぐ実家に行って納品(最後は父にちゅう太を見てもらってる間にホチキス止めした)。これで肩の荷が下りたと思ったらすぐ第二弾を依頼された。
ちゅう太がいて何もできない春休みがやっと終わったので、作業を始めないといけない。
第一弾は平成前半のもので、正直ひどい。無理に社会風刺したがって鼻につく句とか、そこはかとなく下ネタな句とか、ウケよう精神が前に出ている。第二弾は自分や父の兄弟が病気したりいろいろあった時期の句なせいか、謙虚さが出てきて、地味ながら面白い視点の句もある。おそらく第三弾までやるつもりで、父の成長が楽しみである。というか人間やっぱり80代くらいになんないと、だめなんだなあ。今の自分がだめでも仕方がない。せいぜい長生きしないと。
カレンダー
カテゴリー
プロフィール
HN:
かおる
性別:
非公開
職業:
主婦とか
趣味:
語るほどのものはなく
自己紹介:
自己完結日記です。コメント不要。そっとのぞき見して黙って帰っていただけると幸いです
ブログ内検索
最古記事
アクセス解析