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2024'05.18.Sat
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2014'03.17.Mon

仕事を始めて3週間。ちゅう太は中耳炎からの~ぜんそくからの~インフルエンザとスライドし続け、園も習い事も歯医者の定期検診も何もかもぶっちぎって連日朝から晩までテレビを見ている。今月は3日間くらいしか登園できなかった。このまま春休みに入りそうだ。

もう熱は下がって元気だけど発症から5日間は外出できない。まだぜんそくが少し残っているので調子よくなってはしゃぐとすぐ疲れ、という中途半端な元気さで家にいる。
私も調子に乗ってちゅう太を留守番させたりテレビをあてがって仕事をしてるけど、さすがにちょっとまずいなと。元気なくせに宿題は?と言うと「そんなには元気じゃない」と言って有益なことは何もしない。じっと座ってごはんも食べられないし明らかに後退していると感じる。取材に出るときはパソコンを貸してやることに(なし崩し的に)しているが、そうすると何時間でもyoutubeでおもちゃとか食玩のレビューを見ている(世の中にはすごいお兄さんがいるものだなあと私も感心しているレオンチャンネル)。新学期から建て直そうと思う。

私は専業主婦の立場でも必要最低限の家事しかしない人間だが、最低限のラインだけは一応守っていた(ゴミ、洗濯、排水溝などの汚れ関係)。しかし仕事をしていると、ゴミはたまりがちだし排水溝は忘れがちだ。ガスレンジ周辺にも油汚れがたまりつつある。洗濯物はちゅう太が外出しなけりゃ少なくてすむので、2日に一度になってきている。私は人がいると掃除機をかけられないので部屋はゴミ溜め化し、リモコンはすぐ行方不明になるし新聞や空き箱がどんどんたまっていく。家事って些細なことの積み重ねだけどチリが積もって山になるのは意外と早い。

それにつけても仕事は楽しい。楽しすぎて笑いが止まらない。むかしは書くのは好きだけど取材とかで人に会うのは気が重かった。今は全然平気で人と会えるしだれにでも興味を持てる。たまに失敗もあるが落ち込まない(そういう暇はないし、昔に比べずうずうしくもなっている)。そして人脈がすごい役にたっている。私が仕事始めたと言ったらママ友みんなが喜んで協力してくれるのだ。ママ友作りに必死になってた乳児時代、母親同士励まし合って園長と戦ったこの3年間は無駄ではなかった。
仕事がたてこんでるほうがちゅう太にも優しくなれるし(争ってる暇はないので比較的冷静に対処できる)。ああ働くって素晴らしい。春のせいかハイテンションである。大丈夫か私は。

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2014'03.10.Mon

 夫実家へ向かう仮面ライダー鎧武カチドキアームズ
(雑誌「てれびくん」ふろく紙製マスク装着)

仕事を始めて2週間弱。仕事を始めたと同時にちゅう太が中耳炎になり、わりと重症で、でも薬飲んだらすぐよくなってきたと思ったらぜんそくにスライド、随分長く幼稚園を休むことになった。
そしたらちゅう太は食欲もなくおとなしく寝ているかテレビを見ていて、私は弁当・連絡帳・送迎に煩わされることなく久しぶりの仕事に集中できるという奇跡が起きた。
取材にもちゅう太を連れてくか留守番させるかできた(取材先は近所ばかりなので数時間おきに様子見に帰ったり、車の中で待たせたりが可能)。茨城でふたたび仕事ができるとは思わなんだ。地元ローカルメディアのフリーライター、理想的な仕事ではないだろうか。ギャラ安いけど。

そうこうするうちに卒園式の日となった。まだセキは出るけどちゅう太はがんばって出演、ブランクをものともせずぶっつけ本番で劇・手話の歌・楽器など見事全部こなした。仕事にも園にも穴をあけずにすんで本当によかった。私はこの2週間で仕事のペースをだいたいつかみ、取材のストックも少しできたので、今週から弁当・連絡帳・送迎をこなしつつ仕事をすることとなる。リハビリ期間を与えてくれた中耳炎とぜんそく、ありがとう。今後は春休みに入るまで、ほぼ毎日お迎え時間ギリギリまで取材入れちゃったからもう早退とかしないでくれ。これからが問題いや本番だ。
2014'02.27.Thu
父の本来の四十九日の日に改めて身内が集まり、法要と納骨が無事終わった。平日になったのでちゅう太は夫にまかせて一人で電車で行った。電車は楽だし本が読めるし、便利な乗り物だ。
母が電話で、まだまだ雪が残ってて庭に出れないし普通の靴では歩けない、と脅かすので、ブーツじゃなきゃ無理かと思って礼服をやめて黒い平服で行ったが、たしかに庭はすごかったけど墓地や道は当然雪かきしてあって普通に歩けた。それよりもブーツの脱ぎ履きがいちいち大変だった。
葬式の日は、隣組の人が予想外にたくさん来てくれて食膳が足りなくなり、私や甥たちなど選ばれし末端の者がロビーで菓子パンをかじるという事態になったが、今回ふつうに精進落としを食べることができた。うまかった。

法要では経文を皆で唱和したが、お経ブックにはひらがながふってあり、ちゅう太がいたら張り切って唱えていただろう。お墓を開いたら地下は棚のようになっていて祖父母の骨壺が並んでいて、ちゅう太がいたら「ちょっとはいってみる」とか言って入ろうとしていただろう。等いろいろ想像し連れて行かなくてよかった、と思った。お膳も一人でじっくり味わえたし。

帰りの電車でものんびり本読んだり寝たりして、帰ってきたらいきなりあわただしくなった。
ボランティア技術講座が修了したのでこれから実戦に入ることになったが、車掌文庫の編集も進めなきゃいけない。さらに間もなく卒園式(という名の演し物てんこもりイベント)、ついでにちゅう太の習い事が増えて宿題をやらせるのが大変。そんな中で突然ライター仕事が入り、仕事なんか6年ぶりなのでペースがつかめず徹夜したら翌日はフラフラ(6年前より確実に衰えている)、というところでちゅう太が中耳炎になった。「子どもの病気」というのは強制シャットダウンみたいなものなのであきらめて寝るしかない。ぬるま湯生活から「働く母親」という新ステージへ、何の準備もないうちに移行してしまい、うまい踊り方がまだつかめない。



2014'02.17.Mon

雪国と化した実家

道を掘った

土曜日はちょっと早いけど四十九日法要と納骨の予定だった。
金曜夕方茨城を出て、東名高速まではノロノロしつつもなんとか通過。ガラ空きの海老名SAで18時に夕食をとり、ほっこりしたのが最後の余裕。厚木ICを降りたところから車がまったく動かない。厚木ICより先は東名も小田原道路も通行止めになっていた。親戚は来られないかもしれない。窓の外は猛吹雪。そんな中バスが止まったのか歩いてる人が多数。ちょっと停車してる間にもみるみる積もっていく雪。なんで渋滞してるのかわからず、1時間かけて数メートル進むごとに、渋滞原因(ハザートランプ点滅させた車とそれを押している人)が見える。迷惑だなんて怒っていられない、次は我が身かもしれない。
ポータブルDVDを持ってきていたのでちゅう太は一年分のキョウリュウジャーを繰り返し見ている。ICから実家まで7キロくらいの距離を3時間かけてやっと着いたー!!と思ったら、実家の真ん前で雪に埋まって前にも後ろにも動けなくなる。いつも停める裏庭は雪で入れないので、大通りに面した店の前に停めるように言われたのだが、大通りも雪で埋まってるし、店の前の道は近くのバス停ロータリーとつながってる部分なので、バスはもうずいぶん前から運休してるみたいなので、新雪がこんもりと積もっていて、その新雪に向かってズブズブ進んだらこの通り。スノーブーツとユニクロの暖パンで来てよかった。膝まで積もった雪を踏み込みながらちゅう太を連れて実家に行き、ちゅう太を置いて、スコップを借りて、店の前に戻り、車の周囲を雪かきし、やっと進むことができた。家の前じゃなかったら遭難だ。JAFとか呼んでも到着できないだろう。

疲れ果てて歯も磨かずにバッタリ寝たが、夜中じゅう暴風で古い家が揺れる。ボン!ボン!と屋根の雪が落ちる音もする。みんな寝不足だ。それもこれも坊さんが天気予報を甘く見て法事を決行すると決めたせいだ。しかし結局寺も墓地も雪で埋まり、坊さんも仕出し屋も来れないので法事は翌週に延期になった。土日はもう予約いっぱいだったので平日で、それが本当の四十九日目。「お父さんはまだお墓に入りたくなかったんだね」とか、オカルトちっくに納得する田舎の人たち。
翌朝は実家唯一の男手である兄が物凄い勢いで雪かきしまくるのを少し手伝う。すごい大変。ちゅう太は雪遊びに専心。ちゅう太のスキーウェア持ってってよかった。疲れて3時間も昼寝して、もう一泊して日曜に帰ってきた。東名はまだ不通だったため渋滞の246号線で都内まで出たら、首都高が開通してて、そこからはスイスイ帰れた。茨城はぜんぜん積もってなかった。あまりに疲れたので今日は幼稚園休んだ。「終戦の年にもこんな大雪が降った」と母が言っていた。子孫に語り伝える体験ができた。

2014'02.13.Thu
ちゅう太が生まれて初めて初回から(前半は録画だけど)最終回までを見届けた番組、獣電戦隊キョウリュウジャーが終わった。わるものがこわくて紙芝居も見れなかったちゅう太が、恐竜愛のために恐怖を克服して30分通して見られるようになったのが7月。そしたらいきなり悪に対して鈍感になり、自分が正義だとしながらもエンドルフとかDなどのかっこいいわるものばかりモノマネするようになった。
将来は恐竜博士になる予定がキョウリュウジャーになってしまい親をがっかりさせた秋、仮面ライダーガイムが始まる。すると徐々にガイム推しにスライドしだすちゅう太。ここでも正義のコウタよりも斜に構えたカイトのモノマネばかりする姿に、ちゅう太の嗜好はこっち路線か、茨城育ちだしヤンキーになってしまいそうな予感にまたがっかりする親。当然将来の夢はガイムになった。
キョウリュジャーの最終回の日「もう(録画した)キョウリュウジャーはぜんぶけしてください。ガイムがあればいいから」と言い出したときには一抹の寂しさを覚えた。薄情なもんだ、キョウリュジャーおもしろかったのになあ(とか言いつつ最終回の録画を毎日見ているのだが)。
キョウリュウジャーの後番組は「烈車戦隊トッキュウジャー」だ。乗り物には興味のないちゅう太はトッキュウジャーてwwwwと初めはバカにしてた癖にだんだん「たのしみになってきた」とか言い出し、今ではすっかり見る気満々だ。またバンダイCMや食玩売場と戦う一年間が始まる。

そんなちゅう太がゆうべ入浴中に考えたあたらしい戦隊もの「おみずせんたい、みず」。おゆ、みず、ゆき、こおり、すいじょうき、などの仲間がいる。そのうち「おちゃ」「カルピス」なども出てきたため、きりがないからそれは別に「のみものせんたい」を組んだほうがいいとアドバイスした。
2014'02.10.Mon

茨城でも珍しいくらい積もった日曜日


公園でかまくらを作ろうとしたが、素人なので、男子用便器みたいなものができたがちゅう太は満足

2014'02.07.Fri

死ぬというのはふしぎなもので、瀕死の状態でベッドにいる人を見て、ああこれは今日明日中に死んでもおかしくないなあ、と思っていても、いざ本当に翌日死なれるとびっくりする。死ぬこと自体はべつにこわくない。むかしは、恐怖は死につながる苦痛にあると想像していたけど、いまは、死を恐れる気持ちの本質は、それがいつ来るかわからないところにあるんじゃないかと思う。


そう思うと、病気とか災害とか、いつ来るかわからないことなんていくらでもあるんだけど、死はやっぱり特別。それが来たということが、自分には(たぶん)わからない、というか最後までをはっきり認識というか把握というか、自分で自分の死を最後まで見届けることはできないのがこわい。


いつ訪れるかわからない死をなんとか予知したくて、健康診断や占いがある。死期を予測した後は、それが当たるか当たらないかが気になる。当たらなければ「当たらなかった」と思えるけど、当たったら「当たった」と思うことのできる前に死んでるので、結果がわからないままだ。

だからいつ死んでも構わないように、死ぬまでの間はとにかく生きる、ということしかいまは思いつかない。きっとそういう思いを助けるために宗教はあるんだろう。私は人と共感するのがきらいなので、大勢で集まって祈ったり、それについて話し合ったりしたくない。個人のための宗教があったらいい。私が教祖で私が信者で、だれにもそれを打ち明けない宗教。人はだれでも、そういう宗教を持っているのかもしれない。人はだれでも神になれる。

でも死ぬ。

 

死ぬから宗教とか言ってられる。死んだ人はこれ以上死なないので、安心して眺めていられる。墓に参ったりなんかして。見えるはずもないのに花を供える。墓を、花を、見ているのは私の目で、死人じゃない。でも死んだ人のためにしてあげられることなんかもう何もないので、しきたりを真似て花でも供えるしかない。葬儀は、残された人のためにやるものである、ということが実感できる年齢になった。


私の都合では、私の遺灰とか位牌とか、そんなのは保存しないでほしいけど、遺族がいる限りは、遺族にまかせた方がいいんだろう。ちゅう太には私より長く生きてほしいので、悪いけど後はまかせる。こんな遺骨捨ててやると思うよりは、花でも供えてやりたいと思えたほうがきっと幸せなので、まあほどほどに仲よく暮らしていきたい。今日は父の初の月命日。

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