最近の(かわかんないけど)子どもは写真に撮られ慣れているのでポーズをとるのは達者である。しかしちゅう太は表情を出すのも得意だ。劇団に入れたい、と短絡的に思う。ちゅう太の行動についていろいろ試みてみたけどロールプレイが一番よく呑み込める。空気を読むのが難しい子は設定の中に入れると生き生きと動ける。見通しが立って不安がなくなるようだ。私も最近なんとなく演劇に興味がわいて(でも舞台を見に行くんじゃなくてアメンボアカイナーの発声練習とか走り込みとかやりたい)竹内敏晴を読み直してみたりしている。
ちゅう太は福島弁で書かれた「花さかじい」が気に入って、私と毎日「おらの背中に乗らんしぇ」「めんごいおめえの背中に乗られっか」「乗らんしぇ!乗らんしぇ!」というやり取りを繰り返している。こういうときはママVSちゅう太でいるよりもワンクッション置いた、優しい関係になれる。ちゅう太も「起きんしぇ」「食べんしぇ」言った方が何でも素直に言うこと聞くし、毎日毎日同じことを言っているのがどうにも我慢ならなくなるときがあるのだが(いまだに自発的に弁当箱も出さないし風呂上りにはいつまでも裸でいるし)、もう変化なんか求めないで、ロングラン公演をしているつもりで暮らしてみたらいいのかもしれない。子どもの成長は早いけど、それは振り返ってみてのことで、今日という一日は長い。
私は長いこと、父が嫌いだった。年取ってからはお互い丸くなったけど、血気盛んだったころの両親はよくケンカをしていた。そんなとき子どもは無条件に母親の味方をするものだ。母親が怒鳴ったってたいしてこわくないけど、父親はちょっと声を荒げるだけでとてもこわかったので。そして父が母のことをバカ呼ばわりするのがとてもいやだった。母がいつもかわいそうで、どうしてリコンしないのかなあなんて姉と話し合ったりしていた。
大人になって結婚などもした後で、やっと客観的に親を見られるようになったら、母が耐えるだけの人ではなく、実はけっこう大したタマだったことがわかってきた。きちょうめんな父とは真逆で、父からすると我慢できないようなこともきっと何度もしてきたんだろうと想像できる。そこでやっと父を見直し、夫婦は結局お互い様だ、父あっての母だったのだなあなんて思えるようになったけど、元々距離のあった(私の子ども時代に両親は忙しく、一緒に出かけたり遊ぶようなことはほとんどなかった)間柄。父に本音でぶつかるようなことはなかった。
母とはお互いつい本音を漏らして甘えてしまうこともあるけど、父とはお互い一歩引いて、親しみのこもった礼儀を保ちつつ接してきた。対父親としてはそれが正解だったと思うんだけど、こうあっさり死なれてみると、もうちょっと別の関わり方もあったんじゃないかなあなんて思ったりする。
まあそれも死んだからこそ思えたことである。生きている人を見直したり関係性を変えたりすることはむずかしい。生前、父に文句ばっかり言ってた母は今すごくさみしそうだ。父の抜けた穴は父だけのもので、実子にも孫にも埋めることはできないということはなんとなくわかる。母は今、生まれて初めての一人暮らしをしている。
新旧カメラ2台を並べて同時に撮ったりして遊んでいたちゅう太がたどり着いた境地
父が83の誕生日の一週間前に死んで、10日あまり経った今は日常に戻っている。畑仕事もあとはネギや大根を抜くだけっていう今の時期に、職人として依頼された最後の仕事を締切より早めに仕上げ、年賀状も受付日と同時に出したきちょうめんな父は、入院して11日目、やり残したことも心配事もない状態で松の内が明けると同時に死んで、みんなが無理なく集まれる連休中に葬儀を済ませた。見事である。
祖父母の前例から、親は長生きするもんだと勝手に思い込んでいたので、あっさり死んだ父に驚いている。父もまさか自分が死ぬとは思ってなかっただろう。
母は一人暮らしになってしまった。まあすぐ近くに兄夫婦も姉夫婦も住んでるから大丈夫だと思うけど、今まで父が口うるさく髪を切れとかワンピースを着ろとか言って何とか保ってきた母がやもめになったら一挙にむさくるしくなりそうで心配だ。母は長生きすると思うけど、やっぱり先のことはわからない。というか夫や私だっていつ急に死ぬことになるかわからない。ということはわかっても、どうしようもないんだけど。
父は仕事をみんな片づけてってくれたし、年齢的にも早死にではない。文句のつけようがないので、親族全員の驚きと悲しみの中からすぐ諦めが幅を広げ、葬儀は笑いあり涙ありの盛大かつ和やかなものとなった。親戚やきょうだいが多いのはいいものだ。でもこれから親戚や姉兄も次々死んでいくんだから、身内が多いのはつらいもんだともいえる。ちゅう太にもきょうだいがいたらよかったなと思ったけど、別れが少なくて済むのもまたよし、助け合う相手がいなくても今の葬儀のシステムはよくできていて任せて安心、なんとかなる。ちゅう太は湯灌から骨拾いまで全部に参加し、老人ばかりの集まりに華を添えた。この大イベントをいつまで記憶していられるかわからないけど、良い経験だったと思う。
祖父母の葬儀のときは幼稚園児で、焼き場で元気に運動会をしていた甥(現在20代)が、今回ちゅう太の相手をしてくれて助かった。甥は骨拾いしたことを覚えているという。やはりインパクトの強い場面なんだろう。ちゅう太はおじいちゃんをそのまま埋めて化石にしたら?と提案していたが、焼きあがった骨に興味津々、とうこつ(頭骨)はどれ?などと質問していた。
年末に親父倒れて虫の息(虫は秋の季語だが)
新年あけましておめでとう、と言えるうちに言っておこう。父が倒れて10日あまり経った。関係者全員がもうすぐ確実に死ぬ、と思っているが、意外と持っている(大方の予想は倒れてから1週間だった)。実家に近い兄と姉1は毎日、姉2はちょっと離れてるので隔日、私はもっと離れてるので3日に一度くらい病院に行っている。正月にひどい渋滞で車に長時間乗り続けて腰を痛めたので、昨日はちゅう太と電車で行ってみたら、腰以外も痛くなった。
電車の場合駅まで自転車で行くが、20キロ超えたちゅう太を荷台に持ち上げるのがつらい。さらに重い荷物持って電車とバスで片道2時間以上。その上はるばる行ってもやることがない。ちゅう太がいると重い空気が変わるからいいと言ってくれる者もいるが、まあ邪魔者である。私らが行けば母は何か買っておいたり作ったりするし、兄嫁も気を遣うから、容態に何事もなければ日帰りするほかない。それで今日は筋肉痛で動けない。
今日はちゅう太に掃除をさせテレビ漬けにして私はじっくり昼寝をした。家事を肩代わりし、一人で時間をつぶし、電車でポケモン図鑑見たりしりとしをしながらおとなしく2時間も乗ってられようになったんだから思えば成長したものだ。これが2年前、いや去年でもどうしようもなかっただろう。そういうわけでみんなして、父が死ぬのを待っている。不思議な気持ちだ。この件はたぶん車掌の次の号に載せてもらうのでもう詳しくは書かないと思う。いつになることかわからないが。
折り紙にモールをくっつけたもの
「サンタさんゆびわ」ちゅう太が自分で考えた初のクリスマスプレゼントである。
おしょうがつにつけるようにと言われたが…
もうずーっとずーっとイライラしっぱなしで、疲れが取れないし物忘れが激しいし何もやる気しないしたまにめまいもするし、おかしいと思ったら、どうも私は寝不足らしく、ねまきの上にもう一枚着、ふとんの上にかける毛布を増やしたら数日で諸症状は治った。茨城の冬は寒い。
そして無事平和にクリスマスを迎え、ちゅう太は連日おはようからおやすみまで休む暇なくライダーやキョウリュウレッドカーニバルに変身している。寝不足のままだったら戦極ドライバーもミニティラも叩き壊していただろう。気付いてよかった。
サンタさんたち今年もありがとうございました。
冬休みに入り、ママ友は帰省したりで音沙汰がなくなり、ボランティア講座も年内は終わり、ちゅう太の発表会とか習い事も今週でみな終了。母子の密室生活が始まりかけたところで夫が今日から冬休み。
年内に仕上がる予定だった編み物は終わりそうになく毛糸も足りなくなりそうで、ママ友に売ろうと思って作り出した恐竜ぬいぐるみの出来は微妙で、車掌文庫のしめきりが迫ってるらしいけどまったく他人事のようで動く気もしない。何もかもやりかけのまま新年を迎えそうだが、イライラが治ったら今度は何もかもどうでもいい気分だ。皆様は良いお年を。
ここんとこずっとずっと疲れててやる気が出ない。でもぜんそくが出たら更に面倒だから最低限の掃除はしないといけないし、もうすぐバザーだからマスクとか作んなきゃいけないし、編み物したいのになんかうまく編めくてほどいてやり直してばかりで先に進まないし、ちゅう太は態度が偉そうでムカつくし、園長にもムカつくし、ママ友から頼まれてるチラシの作文が内容的に難しくなってきて面倒だけど乗りかかった船だからやんなきゃいけないし、車掌の指令も次々来るけどやるにはまず古いパソコンを立ち上げなきゃいけないから面倒だし、何もかもおもしろくないのは寒いせいだ。寒いと動けない、比喩とかじゃなく本当に頭も体も動かなくなるので、家に私しかいなくても暖房をつけ、気晴らしに買い物やママ友ランチに行く。「めし食わぬ嫁」と言われた清貧な私はもういない。中年以降は自分で餌ぶらさげ続けてないと前に進めない。
この頃ちゅう太は随分マトモになってきたなあ、と夫婦で話し合った2日後、ちゅう太は出かける支度をなかなかしなくて私を発狂させ、水族館で好みのタイプの女児につきまとい行為をした。どちらの件も説得により引き下がったが、たぶん何が悪いのか本心からはわかっちゃいない。根気よく説明して諦めさせたり別の視点を与えたりするのも、正直疲れた。と思ったところでグレーゾーンの子持ち母の本を読んで、こういうことは今後も続くのだ、とさらに落ち込んだので、説教部屋(風呂)でちゅう太に
「もうママは年取って体が古くなって疲れちゃって元気が出ない」「ちゅう太を怒って暮らしているとますます疲れてどんどん年寄りになる」「でもニコニコ楽しく暮らせたら、もうちょっと若くいられるかもしれない」「年寄りのママと、ちょっとでも若いママとどっちがいいか」
と問うと「わかいほうがいい」と答える4歳でロリコン認定された男である。
縦割り園なので年長になったら責任が増す、ちょうどいいから家でも責任を増してもらう、年長になったら、ちゅう太が朝起きなかったらママも寝る。テレビ見てたらママもテレビ見て出かける支度しない。ちゅう太が誰かに迷惑かけたらママも迷惑かける。ちゅう太がしっかりして家庭を支えてくれ、というような話を風呂が冷めるまでし続けたら、頼られたり大人扱いされると(その場では)張り切るちゅう太はすぐその気になって「おれはママの手をよいしょ、よいしょってひっぱってようちえんにつれてく」と腕を曲げて力こぶを作った。
本で読んだグレーゾーンの子は小学校に入ってから気づかれたので、中学生の現在もだらしなさ等が落ち着いてないけど、ちゅう太は早く気付いた分有利なはずだ。本気で荒療治(本人以上に母親がダメ人間になる)したら効果あるんじゃないか。いや別にダメ人間になんなくても、単に私が就職して家事をちゅう太に分担させるとかでいいんだろうけども。
とあるボランティア技術養成講座に誘われて、一か月経過(3か月で修了)。タイピングができればいいのでわりと楽勝。でも最近というかもうずっと集中力が低下し続けてるし短気でキレやすいのも相変わらずなので、その辺気をつけないとうまくいかない。どうしたら穏やかな人になれるのだろう。
健康診断では去年注意されたコレステロール値が、今年はさらに悪くなっている(何も対策してなかったから当たり前だが)。心電図も微妙。なんかもう健康とか気の持ちようじゃなくて、老化、ってことならどうしようもないから努力する気になれない。
その講座にはタイピングどころかパソコンの起動もおぼつかない老人も交じっていて、私なんか若いほうみたいだから気分がいい。活性化するには若者にまじって刺激を受ける方法もあるが、私のような陰湿な人間は老人に交じって優越感に浸るほうが向いているようだ。
今月のちゅう太はお泊り会、クリスマス会、ヤマハの発表会と晴れの舞台が続く。全部簡単なことのようで微細な準備が無数にあって忙しい。とはいえもう幼稚園も3年目、だいぶ飽きた。イベントにいちいち張り切る気になれない。
勉強とか自分のことをしている間ちゅう太のことは一切思い出さないところをみると、私が仕事に復帰したら育児は(家事も)たぶん一切しなくなる(形の上ではしても実質ネグレクト)。そもそもが普通以下なのにそこまでがんばれる人間ではない。だから小学校に入ったらちゅう太は自力で習い事や買い物に行って宿題やって玄関キーの管理も電話の応対もできて夕飯くらい作れるようになっててもらわないと困る。と思うと仕事復帰より現状維持(たまにガス抜きにボランティアかバイト程度のことでもして)のほうが現実的かなーと思う。でもなんかしたい。さすがに諸々飽きた。こういう感じも集中力と冷静さの欠ける何かの症状かもしれないが。