2008'06.28.Sat
妊娠前の体重にほぼ戻った。ベビーカーでの散歩以外はろくに運動もしてないし夫よりもたくさん食べているのにだ。妊娠中12キロくらい増えて、分娩後5キロくらいしか減ってなくて焦ったが、なんとかなってよかった。一日に延べ2時間くらい体液を吸い取られ続けるっていうのはすごいことだ。しかし全然やせていない。妊娠前から太っていたからだ。努力なしに体重が減るなんて人生の中で今しかないと思うので、ちゅう太が母乳オンリーでいる間にあと4キロくらいは落としたい。しかしそれにはあと3か月くらいしか残ってない。
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2008'06.24.Tue
今年の結婚記念日に、つくばにあるレストランに行った。っていうのは1/26の日記に書いた。その店が食中毒を出してごめんなさい。というニュースを見た。あじさいの葉っぱを料理に添えて出したら、それを食べた人が具合悪くなって、あじさいの葉は胃酸に反応して青酸が発生するそうな。この店行ったのが冬でよかった。妊娠中だったしな。我々はパセリはもちろん、添え物のなんだかよくわからない葉っぱとか枝とか、食べられそうだったら全部食べてしまうので。あじさいを食べた人たちは全員快方に向かっているそうだが、妊娠中に青酸とか発生さしてたらちゅう太はどうなっていただろうか。ちゅう太が家に来てから、ちゅう太が死ぬところをリアルに想像することがたびたびある。テレビや新聞で見る悲惨なニュースにいちいちちゅう太をあてはめてしまう。私はちゅう太に対してなんとなく現実感がないというか、いまだにたまに「これ私が産んだのか?」と半信半疑になってしまうときがあるのだが、ちゅう太が死ぬところを想像すると即座に涙が出てくるので、愛してはいるらしい。
2008'06.17.Tue
日記カテゴリの「生活記録」と「子」の区別があいまいになっている。現在はちゅう太と一心同体、一丸となって暮らしているので、というか当分はちゅう太の忠実な手足となって生きていかなくてはならないので、もう私個人の「生活記録」などどこにもないのである。しかしそれはそれで悪い感じではない。どうせちゅう太がいなかったところで一日中だらだらしてるだけだったりするし(でもなんかもう昔のこととか思い出せない)。
今日でちゅう太は生後75日。人の噂も75日、ほとぼりが冷める時期ということなのか恐ろしいもので、分娩の痛みをちょっと忘れかけている自分に気づく。
今日でちゅう太は生後75日。人の噂も75日、ほとぼりが冷める時期ということなのか恐ろしいもので、分娩の痛みをちょっと忘れかけている自分に気づく。
2008'06.09.Mon
白の木綿糸がなくなったから車で25分かかる手芸品店まで買いに行きたいが、雨なので出かけられない。出ようと思えば出られるのだろうが、ちゅう太と荷物とベビーカーを持ったら傘を持つ余地はない。ベビーカーやめてスリングにしてもやっぱり傘を持つのはめんどくさい。マンションから駐車場まで歩いて1分、だったはずだが子連れだとなんでか5分かかる不思議。
ちゅう太は雨とか低気圧の日はなぜかぐずぐずと荒れて泣き、なかなか昼寝してくれない。だっこして揺らしながら家じゅうを歩き回っていると白目をむく(眠いくせに、まぶたを閉じまいと抵抗している)。寝たかなと思ってソファに置いたらすぐ目を覚ましてぐずぐずいう。疲れたので(私が)ほっといて(ちゅう太を)まとめサイトとか見てたらいつの間にか眠っていた(ちゅう太が)。低気圧が通過したのか、外も晴れてきたがもう午後3時を過ぎてて、今から出かける気にもなれず。
ちゅう太は雨とか低気圧の日はなぜかぐずぐずと荒れて泣き、なかなか昼寝してくれない。だっこして揺らしながら家じゅうを歩き回っていると白目をむく(眠いくせに、まぶたを閉じまいと抵抗している)。寝たかなと思ってソファに置いたらすぐ目を覚ましてぐずぐずいう。疲れたので(私が)ほっといて(ちゅう太を)まとめサイトとか見てたらいつの間にか眠っていた(ちゅう太が)。低気圧が通過したのか、外も晴れてきたがもう午後3時を過ぎてて、今から出かける気にもなれず。
2008'06.05.Thu
15年くらい続いてた仕事が、休刊により今月で終了となった。あと私に残されたのは隔月刊の仕事1本のみ、今後は月収1万5千円くらいになってしまう。夫に寄生しているので生活に支障はないが、自分の小遣いと貯金とたまに夫やちゅう太へプレゼント買う、にはちょっと心もとないか。去年までは単発仕事のオファーもあったが、妊娠を理由に全部断っちゃって以来依頼もなくなった。仕事から離れてみて思うのは、私はあの仕事が心底苦手で、ほんとに金のためにだけやっていたなあということだ。一時期本気で金に困ってたから何でも断らず引き受けていたけど、あのころの生活全般の苦しさが仕事のイメージとして焼きついちゃってて「仕事=自己実現、自己表現の場」みたいなふうには全然思えない、これがトラウマというものなのか。あのころのことを忘れたいせいもあるけど美容院とかで何の仕事してたんですかと聞かれて(何の仕事してたんだっけ?)と本気で思いだせなかったりするくらい自分の中に何も残ってない。ちゅう太が大きくなって暇になったらまた働くかもしれないが、もうあの世界に私の居場所はないので近所でのアルバイトとかになると思うけど、接客も計算も苦手な私には何ができるだろう。残された隔月の仕事も(雑誌売れてないみたいだし)そう長くはないだろう。ボケないようになんか勉強でも始めようかな。そういえば英語の勉強をしてたはずではなかったか私は?
2008'05.28.Wed
母が孫を見るためにはるばる茨城まで来た。一人で。母にとってこれはものすごいことで、「はじめてのおつかい」みたいな番組に興味はないが母がうちに来るまでの道のりなら隠しカメラで撮影しておきたいくらいと思う(残念ながら全行程ひとりで来ることはできず、途中の秋葉原まで父に送ってもらったそうなのだが)(母なら隠しカメラではなく、真後ろにッピッタリくっついて撮影しても気づかないかもしれない)。母は私のために家事や育児を手伝う気まんまんでいたのだが、母は料理できないし掃除もたいしてやるとこないし、ちゅう太は世話のかからないいい子なのですぐ退屈してしまい、しかたなくちゅう太をあやすことに専心していた。一泊の予定だったが、翌日帰る段になると母はものすごく緊張しはじめ、ポケットから電車の乗り換えを書いたメモを何度も取り出しては読み返しているので実家に電話したら、明日なら迎えに行けるからもう一泊しれと父に言われ、すると急に安心してもう一泊していった。そして今日父が迎えに来て、孫をほめて昼飯食って帰っていったのだった。
母親とは(それが実母でも姑でもだ)家の中で目につくすべてのものに対して「これは何?」「これは何?」と根ほり葉ほり聞いてくるもののようだ(いっぽう父親とは、それが実父でも舅でも、家の中のことは何も目に入らず、自分が用意してきた話題を話し終わるとあとは無言でいるもののようだ)。「これは空き箱だよ」「これはシュレッダーだよ」などと、家じゅうのあらゆるものについてひとつひとつ話して聞かせるというのは、やってみるとすごい疲れる。この質問攻めは母らが客として来る時はさほどではないが、家事を手伝う気で来られるときにはもう逃れようもない(家事と関係ない、隣近所のことや夫のCD棚なんかのこともガンガン問い詰められる)。人んちのことをなんでそんなに全部把握しようとするかなと思うが、善意からきていることをブロックする勇気もないので無抵抗でいるしかなく。私はちゅう太が一人暮らししたり結婚したりしたらもう他人と思って、よそよそしく接しようと思った。
母親とは(それが実母でも姑でもだ)家の中で目につくすべてのものに対して「これは何?」「これは何?」と根ほり葉ほり聞いてくるもののようだ(いっぽう父親とは、それが実父でも舅でも、家の中のことは何も目に入らず、自分が用意してきた話題を話し終わるとあとは無言でいるもののようだ)。「これは空き箱だよ」「これはシュレッダーだよ」などと、家じゅうのあらゆるものについてひとつひとつ話して聞かせるというのは、やってみるとすごい疲れる。この質問攻めは母らが客として来る時はさほどではないが、家事を手伝う気で来られるときにはもう逃れようもない(家事と関係ない、隣近所のことや夫のCD棚なんかのこともガンガン問い詰められる)。人んちのことをなんでそんなに全部把握しようとするかなと思うが、善意からきていることをブロックする勇気もないので無抵抗でいるしかなく。私はちゅう太が一人暮らししたり結婚したりしたらもう他人と思って、よそよそしく接しようと思った。
2008'05.20.Tue
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