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2025'05.25.Sun
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2011'04.08.Fri
fue.jpg通園用のリュックを買う。コールマンのミニというキッズ用ので、防犯用なのか小さい笛がついている。吹くと「ピー」とか鳴る。か細い。こんなんで何か役に立つのかと思う。ちゅう太にリュックを背負わせてもすぐ降ろしてしまい、リュックを抱えてピーピーピーピー吹いている。ちゅう太にとってこれは「リュックつきの笛」である。




kickskater.jpg
キックスケーターの間違った乗り方(誕生日に買ってやった)

このヘルメットは一年前に買ったものだが、もう大きさ(調整できる)が最大でギリギリだ。これ以上大きくなると大人用メットになると思うのだが、それだとなんかもう体に対してでかすぎて宇宙人みたいでどうしよう
(ちなみにちんちんは治りました)


さっき夜中に地震があって目が覚めてしまった。長くてゆっくりした大きい揺れだったのでまた水槽の水がこぼれてないかと起きてきたけど、テレビをつけるとこのへんは震度4で、大したことではなかった。ちゅう太は昼間さんざ疲れさせたので地震がきても一瞬起きあがっただけでまたすぐ熟睡した。たとえばちゅう太はそこが毛布一枚しかない寒い避難所だったとしても、私が抱っこしていれば安らかに眠るし、そこが最高級のホテルだったとしても、私がいなかったら泣いて暴れて眠れない。一般的に子どもにとっての母親の存在ってそういうものだ。先月実家に疎開する最中、ああおかあさんがいてよかったと思いながら車を走らせていた。あんなちっちゃい婆さん(77)がいたところで余震や原発がどうなるわけでもないのに、おかあさんのところにいくんだと思うだけでなんか腹の底の理屈じゃないところが安心してしまうのだった。この子持ちの中年(42)が。ところで私は20歳で実家を出て以来、3日以上実家に滞在したことがなかった。ママンとの蜜月は3日が限度です。それ以上いるとお互い悪い意味での家族間の遠慮無さが出てきてウザくなる。それでも2週間も甘えて世話になって、何も解決してない(むしろ悪化してる)のに茨城に戻って来た今、実家には感謝しているがしばらくは行く気になれない。子どもをいくら助けたところでこんなふうに思われてしまうんだから親ってほんとかわいそうだ(だからちゅう太にも期待しない)。それとも私が薄情なだけなんだろうか。
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2011'03.29.Tue
teiden.jpg
はじめての計画停電、ろうそくを凝視する子






お久しぶりです。原発が爆発しては「でもなんかセーフだった」みたいな話が繰り返されていたのが3月13~14日。うちは原発から直線距離で150kmはあるんだけど、夫が「チェルノブイリは半径300km云々」と脅かすので、翌15日に「2号機で燃料棒露出」と発表された時点でシッポ巻いて実家に里帰りしてしまいました。夫は自宅待機中のサラリーマンなので無職の私とちゅう太だけで。

4月から行く予定の園の面談は延期、motherclubのお別れ会、保育園の最後の日、市の親子教室の最後の日はみんな中止。お礼もお別れも言う機会がなくなってすっきりしない心残り。

実家(厚木)は平和だった。ガソスタは行列、店では商品棚ガラ空き、だったけど、余震はほとんどなく、水出るし米と野菜は売るほどある。ガソリンは21日頃から出回り始め私も満タンにできた。停電はあったが、昭和ヒトケタ生まれの両親は地震原発関係なく普段から早寝早起き省エネ粗食、たいしたダメージもなかった。私とちゅう太は2週間、晴耕雨読の春休みを満喫してしまった。母がメシマズでなければもっと長居していたかもしれない(たまにちゅう太と2人、近くのラーメン屋とかマックに逃避した)。

kinjonokora.jpg

実家近くの公園で、芝の小さい丘を転がっていた小学生や幼児にまじって一緒に転げ回る。言葉はいらない




2日もするとちゅう太がものすごく退屈しはじめたというか(普段からの)人なつこさが悪化したみたいで、道行く人にすごく遠くからでも自転車や車に向かってでも大声で「こんにちはー!!!!」と挨拶し、無視されるとショボンとしてかわいそうだし、うっかり挨拶が返ってくるともうニコニコつきまとっちゃって、止めると泣くし、これは尋常でない気がして、厚木市の育児サロンを探してバスで出かけてみたりとか、子供同士の交流の場をもつことに少し苦心した。上画像のように偶然出くわした子とうまいこと遊べた時はいかにも満足げで、素直に夕方家に入るのだが、社交欲が満たされなかった日は庭の木にしがみついてなかなか家に入らない。ちゅう太なりに地震以来の不安な気持ちをどうにかしようとしていたのかもしれない。

茨城を出るときは「もう二度と帰れないかも。夫は一人でここで死ぬんだなあ可哀相に」などと悲壮な気持ちだったのが、すぐに喉元過ぎてしまい、実家への遠慮も3日で薄れ、ちゅう太を相変わらず怒鳴り散らしていたら繊細な父が(ちゅう太のかまって攻撃と私の怒声に)だんだん疲れてきて、同じように里帰りしていたママ友や甥などもぼちぼち日常に戻るらしいと聞き、潮時かなと思って2週間目に帰ってきた。おりしも昨日から教育テレビの子供番組が全部リニューアル、否が応にも新しい季節到来感に押されて。まだ茨城は余震あるし原発もどうなのか、このタイミングで帰って正解なのかまったくわからないけど、帰ってきたら普通に生活が待っていて、好きな時間に入れるお風呂や大きなテレビ、自分のベッド、なんかでかくなっている金魚。

dstv.jpg
テレビが両親の部屋にしかないので、DS用のアンテナを買ってちっちゃいテレビを見ていた。ちゅう太は勝手におまけのゲームとか私の知らない機能を発見してしまう



疎開前に注文していたソーラーライト、3つのうち1つは「配達不可能地域」として、1つは「在庫がなくなり」キャンセルされてしまった。1つだけ昨日届いた(茨城は停電ないみたいだから結局要らなかった)。あと在庫なしのほうから「おわびに」とちっちゃいLEDライトのキーホルダーつきのが2つも無料で届いて得した。
あと地震前に落札していたヤフオクの品(ちゅう太の服とか)が届いていたのだが、1件だけ何の連絡もない人がいる。山形県の人。中古美品の子供用ベストを50円で出品していた。ちゅう太より少し大きいくらいの子どもがいる人。避難所におられるのだろうか、それとも。始まらない取引、消されない商品ページが、ほかにも膨大にあるのだろう。オクのマイページを見るたびに薄れかけてた地震ショックを思い出す。

帰ってすぐ園に面談日の相談をし、これまた延期してた車の修理を再依頼、ママ友と遊ぶ約束を取り付け、買い物をし部屋を片付け、ちゅう太の誕生日プレゼントを探し。私の震災後生活がやっとこれから始まる。
2011'03.14.Mon
newkingyo.jpgこんなときに何ですが新しい金魚です
(先週買って、バケツで一週間塩水トリートメントしていた)
今度は琉金よりももっと丈夫な朱文金が3匹。名前はまだない。

時間断水中で水が貴重な時に…とは思ったが、水は出るときに思いっきりため込んでケチケチ使ってるのでわりと余裕がある。


ゆうべ輪番停電の話を聞いてからアマと楽天でソーラーライトを注文したが届くのだろうか(楽天のほうからはさっき、届かなかったらごめんねメールが来た)。ごはん作り計画を立てたいのに、停電の時間がいつまでたってもはっきりしない。朝は教育テレビの子供番組をやってて、地震以来甘えんぼ気味だったちゅう太も落ち着いてテレビを見ていた。9時過ぎるとまたニュースばかりになったので、ちゅう太を連れてドラッグストアに買い出しに行ったら開店直後なのに行列ができてて入場制限中。でも案外食べ物も生活物資もたくさんあってほっとする。生協の車が走っているのを見たからあさっての配達日にうちにも来てくれるだろう。まだ電気ついてるし、こんなかんじでどうにかなるのかなーなんて思いながら帰宅すると、また津波来そうとか水素爆発とか。どうなっちゃうんだ。
2011'03.12.Sat
toiletank.jpg
配給された簡易トイレ(右)とポリタンク






いやあ怖かった。最初の揺れで60リットル水槽の乗ったチェストが10cmほど動き、水がばっちゃんばっちゃんこぼれていくのを見ていることしかできなかった。ちゅう太は昼寝中で、泣いて起きたと思ったらシーツがぬれていたのでおねしょで起きたのか地震で起きたのかは不明。寝室には壁掛け式扇風機をS字フックでカーテンレールにひっかけてあるのだが、それがちゅう太の隣に落ちてきた。本人は「あー!ゆめでよかったー」と言っていたがそれ夢じゃないぞ。

冷蔵庫が5cmくらい移動していた。あと棚の本が数冊落ちた程度で壊れたものはなし。免震マンションでほんとによかった。以前避難訓練をしたとき、消防士が「へたに逃げるよりマンション内にいたほうが安全」と言っていたのでマンション内は混乱なし。しかし地震直後から水が細ーくしか出てこなくなったので、こぼれた水槽水を拭いたタオルとちゅう太のおねしょ服とシーツを速攻洗濯しつつ、風呂とやかんとペットボトルに水をためた。すごい時間かかった。
その後も余震が続き、こわがったりはしゃいだりするちゅう太を抱えて興奮してテレビ見てたら夫が帰宅。バイクだから早く帰れた、すごい渋滞、事故車もあった、信号機があらぬ方向を向いていた、とのこと。
しかし細々とながら水は出るし、市内では停電のとこもあるようだけどうちの近所は電気もガスも通じているので、夜は普通にご飯炊いて肉じゃがとか作って(揺れるたびに火を止めたのですごい時間かかったが)食べた。皿は洗えず、コップとかだけわずかな水をつけて拭いた。おふろにはいりたい~と騒ぐちゅう太をなだめておしぼりで体を拭いてやり、早めに寝かす。

余震で目が覚め、夜中に市のサイトを見ると断水すると書いてあったので、出るうちに少しでもと思って昼間よりも細くなった水を時間をかけて溜める。台所の水が出なくなっても洗面所のは出る、洗面所が出なくなったら風呂場の水が出る。水道管に残ったわずかな水を貪欲に集めていく。でも1リットル程度ためたところで終わってしまった。実家や姉と連絡がつかなかったが、遅くなってからメールの返事が来て一安心。電気は大丈夫そうだけど一応備蓄しといたロウソクとか出しておく。明け方ヘリコプターの音がしてこわい。

朝管理人室からの一斉放送があって、簡易トイレとかもらいに行く。ここでやっと少し被災者気分。管理人が悪いわけじゃないのに「関係各機関と連絡がつかず当面そのままです。ご不便をおかけして申し訳ありません」とか謝られる。午前中外出した夫が、ガソリンスタンドは長蛇の列か売り切れ閉店、コンビニはアイスくらいしか残ってないしスーパーは休みだった、と報告。食材は豊富にあるので昼は唐揚げとか作って普通に食べる。テレビでは同県内の人が「塩おにぎりしか食べてない」とか言っている。午後また少し水が出るようになったけど、まだ先がわからないので慎重に使う。不安もあるけどすごいのんきでもある。すごく恵まれている。お出かけできないのでちゅう太は退屈して暴れている。
今のところそんな感じ。来週はどうなるか。
2011'03.05.Sat
sentaku.jpg
洗濯男子






oyajimemo.jpg
先週実家に行った時見つけた父のメモ(デジカメの使い方)






b2c8a3d2.jpeg
ちゅう太の身長がとうとう100cmに達したので、チャイルドシート(4歳まで使えるはずだったが…)からジュニアシートに昇格した。5点式ベルトじゃなくなるので心配だったが試しに近所一周したら平気な顔で乗っている。
(画像はジュニアシートが入ってた箱。中にちゅう太が隠れている)



画像はないが赤ちゃんマキガイがずんずん大きくなっている。貝の形がとがっているのでイシマキガイじゃなくてサカマキガイのようだ。すごい増えるらしい。どうしよう。
2011'02.24.Thu

マキガイ3匹と水草で回している水槽に、赤ちゃんマキガイがあらわれた。体長1ミリくらい。イシマキガイは汽水域でしか繁殖しないとかいう話だったので、また水草にでもまぎれていたんだろうか。ちびっこいのにいっちょまえにコケ掃除をしている。移動速度も大人マキガイに負けていない。金魚飼育に自信を失った私を慰めるマキガイの頼もしさよ。
さらに数日後、赤ちゃんマキガイが2匹になっているのを発見する。これでマキガイ5匹になった。ちなみにイシマキガイは1個100円だ。金魚の損失が少し埋まった。
ちゅう太に「マキガイの赤ちゃんだよ」と教えると、大きいマキガイを差して「おかあしゃん、おとうしゃん」と指摘する。どっちがおかあさんでどっちがおとうさんだろうね、と問うと、片方を指差して「こっちがおかあしゃん」と断定した。

親子教室で、4月以降も通うのか、幼稚園等に行くならその旨教えてくださいとアンケート用紙を渡された。発達相談では早く集団生活に入れるが良しと言われており、ちゅう太の活力も意欲ももうこれ以上家庭には収まらない勢いなのだが、いざとなると迷ってしまって決断できない。地元の育児BBSなどのぞくと、2年保育3年保育どっちがいい?なんて話題で、「できるだけ長く子供といたかったので2年保育にしました」とかいう人が結構いるので驚き、満3歳児入園にした場合4年保育になる私は母親失格だろうかとまた迷う。

motherclub継続、親子教室継続、スイミング、保育園の一時預かり、幼稚園来年度入園児用の未就園児教室(たいてい5月からスタートで月1~2回ある)を組み合わせれば一応毎日予定が埋まり、なんとかあと一年しのげると思う。でも全部私が一緒に行動しなきゃならんのがネック(保育園は4月からなら人数に余裕が出るので預かってもらえるはずなんだが)。

ちゅう太はいまだママママママで、保育園やSCの託児室には喜んで行くけど私がいなくなると泣く。これは現在のような生活を続けている以上変わらないと思うので、私が決断さえすれば前進するのだが。ところでちゅう太は何かというと「だっこだっこ」とまとわりついてくるのだが、時々「だっこだっこ……きりだっこ・ちたっこ・だっこ」と言っては一人で笑っている。「何それ」と聞くとまた「きりだっこ・ちたっこ・だっこ」と繰り返すだけで意味不明。心地良い語感を自分で考えたのだろうか。ちゅう太のギャグだろうか。それとも私が知らないものをたまたまテレビとかで耳にして覚えたのだろうか。まったくわからない。
 

2011'01.21.Fri
edf3d07e.jpeg
洗濯かごに入って激しく立ったり座ったりすると、前に進むことができる





寒い。今年に入ってさらに寒くなった。先週は雪が降ったし。2月いっぱいまでは辛抱の毎日だ。
家で、薄汚れたバーバパパのひざかけ(小さいマイヤー毛布)を腰に巻いていたら、ちゅう太が「おしゃれ!おしゃれ!」と叫びながら私の周りをぴょんぴょん飛んだ。ちゅう太は私のスカート姿を見たことがないのかもしれない、と思った。ちゅう太が私の外見にコメントすることなんて、顔を洗ってる最中「おばけ」と言われる以外にはなかったので、なんかもっとこう本当におしゃれした姿を見せてやりたいものだと思った。
でも今はスカートなんてとても無理だ。正月以来の風邪はやっと治ったけど咳がまだとれない。足には今年もしもやけができた。都内に住んでた頃ならまだタイツとブーツでなんとかスカート履けたけど、茨城の冬をなめたら寿命が縮む。
しかし冬物のスカートを私は持っている。まったくはかないので新品同様のままタンスの奥でペタンコになっている。この冬も絶対にはかないという自信があるのに、衣替えのたびに「一応」とか思って出す。この「一応」は、「もしかしたらすごくおしゃれしていかなきゃいけない場所に行く用ができるかもしれない」という恐れと期待だ。一度も履かないまままた行李にしまうときの小さながっかりと安堵。これらが田舎の四十路女にこびりついた「かわいげ」の残りカスである(「未練」かもれない)。どんな高齢ママ、どんなダサママのたんすにも一枚はスカートが隠されている。
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